湖ごと収納しました
「水中ボスをソロ? 酸素役どうするんだ」
「潜水装備なしで来てて草」
「久遠岳、さすがに今日は準備不足」
久遠岳は湖畔に座り、靴紐を結び直した。
第六十層《沈没湖》の主、深淵鯨レヴィアは、水中でしか実体化しない。潜れば水圧で動けず、岸から魔法を撃てば液体の体に散らされる。討伐には潜水盾役、呼吸術師、拘束役が必要――というのが攻略サイトの一行目だった。
「準備ならしてきたよ」
岳が見せたのは、初期職《荷運び》の灰色い指輪だけだった。
「収納リング?」
「容量二百キロのやつじゃん」
「魚一匹も入らんぞ」
岳は昨日、この指輪で一本の川を収納しようとして失敗した。その切り抜きには《荷運び職の限界》という題名がつき、十万回再生された。だが失敗したのは容量ではない。流れている水が“一つ”になっていなかったからだ。閉じた湖なら、条件は違う。
湖面が盛り上がる。
島ほどの背が現れ、青黒い尾が岸を薙いだ。岳は逃げず、つま先が濡れる位置まで歩く。レヴィアの口が開き、湖水そのものが巨大な渦となって吸い込まれていく。
岳は右手を水へ触れた。
「収納」
一度だけだった。
次の瞬間、湖が消えた。水草も沈没船も魚群も、同じ水に包まれていたものだけが一瞬宙に残り、乾いた湖底へ柔らかく落ちる。収納対象は水だけ。岳が三日かけて調整した指定だった。
水面が下がったのではない。岸から底まで、巨大な器を空にしたように一滴も残らない。濡れた泥の中央で、レヴィアが山のような腹を打ちつけた。
「は?」
「待って、リングの容量表示が文字化けしてる」
「《荷運び》の固有効果、“接触した同一物質を一単位として扱う”だ!」
「湖全部で一個判定!?」
水を失った深淵鯨は実体化を保てない。巨体の輪郭が泡になり、尾から頭へ順にほどけていく。最後に残った青い核も、空気へ触れた途端、しゃぼん玉のように弾けた。
岳は乾いた湖底へ降り、宝箱の前で指輪を振った。
「取り出す場所、あとで国と相談します」
コメント欄が笑いと悲鳴で流れる中、画面中央に新しい通知が重なった。
【公式計測不能:収納容量の上限を「湖一個以上」へ暫定更新します】