濡れた袖の温度
雨は、体育館の扉を閉めた瞬間に降り出した。
バスケットボールを片づけて外へ出ると、渡り廊下の向こうが白く煙っていた。部員たちは歓声を上げて走り出し、僕だけが軒下に残った。隣には、同じ中学から来た幼なじみがいた。
彼女の制服の肩はもう濡れていた。ボールかごを倉庫へ運ぶ途中で降られたらしい。
「小学校の帰りみたい」
彼女が袖を絞りながら言った。
六年生の夏、同じような豪雨に遭い、商店街のシャッター前で二時間も雨宿りしたことがある。ランドセルを椅子にして、将来なりたいものを言い合った。彼女は獣医、僕はプロ選手。どちらも、今は口にしなくなった夢だった。
「覚えてたんだ」
「忘れるわけない。あの日、あんた私の靴下で鼻かんだし」
「違う、タオルと間違えただけ」
「靴下をタオルと間違える人、初めて見た」
笑い声が雨に吸われた。
彼女は濡れた袖口を鼻に近づけた。
「雨の日の制服って、変な匂いするね」
「埃と洗剤」
「あと、体育館」
「青春っぽく言うなよ」
「じゃあ、諦めかけた夢の匂い」
体育館の中で、片づけ忘れたボールが一つ転がった。乾いた床を跳ねる音が、昔話の続きを催促しているようだった。
冗談の調子だったのに、胸に引っかかった。
彼女は来月から部活を休む。進学のための講習が始まるからだ。僕も膝の具合が悪く、次の大会に出られるかわからない。
渡り廊下の端から冷たいしぶきが飛び、彼女の手に落ちた。僕は反射的に自分の袖でぬぐった。僕の袖も濡れていて、何の役にも立たなかった。
「昔から、そういうところ変わらない」
「何が」
「役に立たなくても、やろうとするところ」
雨脚が少し弱まり、遠くで誰かが呼んだ。
彼女は走り出す前に、僕の濡れた袖を一度つまんだ。
「夢、変えてもいいよね」
「いいんじゃない」
「じゃあ、忘れないで。昔のも、新しいのも」
彼女の指の温度だけが袖に残った。
翌日には乾いてしまったのに、あの制服を着るたび、雨と床用ワックスの匂いの奥から、まだ名前のない彼女の新しい夢がした。