灰の降るベランダ
洗濯物に黒い穴が開いたのは、三度目だった。
白鳥路柚月が上階の住人・鬼束川怜治へ尋ねると、彼は煙草をくわえたまま笑った。
「風向きまで俺の責任か? 安いシャツ一枚で騒ぐなよ」
ベランダには吸い殻も落ちていた。怜治は、自分は室内でしか吸わないと言い、むしろ柚月が灰を置いて慰謝料を狙っていると管理会社へ訴えた。
数日後、柚月の幼い娘がベランダへ出ようとした足元へ、火のついた吸い殻が落ちた。
柚月はすぐ管理人へ連絡した。
大家と消防署員が来ると、怜治は先に声を張った。
「この女の自作自演です。子どもを使って俺を追い出そうとしてる」
柚月は、ベランダの植木鉢を指した。
鉢の支柱には、小型の園芸カメラが付いていた。鳥が苗を荒らすため設置し、撮影範囲は自室のベランダ内だけ。映像には、上から赤い火が落ち、床で跳ねる様子が映っている。
それだけではない。
向かいの戸建ての防犯カメラには、怜治がベランダの手すりから腕を出し、吸い殻を指で弾く姿が斜めから残っていた。所有者は、同じ被害を受けていたため映像提供へ同意した。
怜治は、顔が鮮明でないと言い張った。
消防署員が吸い殻を確認する。銘柄は怜治が玄関前で毎日吸うものと同じ。フィルターには彼の唾液が残っている可能性があり、警察へ相談するなら鑑定対象になるという。
怜治の顔色が変わった。
「火は消してあった。大事故でもないのに大げさだ」
大家は賃貸借契約の火気規定を開いた。ベランダ喫煙は禁止。過去二回の注意も署名付きで受領している。今回は火のついた物を下階へ落とし、幼児へ危険を及ぼしたため、契約解除と原状回復費の請求を行うと告げた。
怜治は柚月へ言った。
「シャツ代は払う。だから映像を取り下げろ」
柚月は穴の開いた子ども服を透明袋へ入れた。
「欲しいのは服代ではなく、火が降らない家です」
大家が退去通知へ押印し、消防署員が事故記録番号を書き込む。
火のついた吸い殻が落ちる映像が正式保存された瞬間、灰を被っていた柚月の暮らしは守られ、怜治の部屋だけが煙のように消えることになった。