無給の春
【進路届/是枝浩青】
第一希望――パリ、ラヴェル建築工房研修生
報酬――なし
期間――八か月
辞退した場合の理由――特になし
【進路届/公文真冬】
第一希望――西浜市住宅課
月給――二十二万四千円
選択理由――生活のため
二人は同じ大学で建築を学び、同じ工房の研修試験に合格した。
世界的な建築家のそばで働ける。ただし渡航費、家賃、食費は自己負担だった。
浩青の両親は「若いうちの投資だ」と喜んだ。
真冬の父は失職中で、妹は受験を控えていた。彼女には、夢のために無給で働く八か月を買う金がなかった。
「僕が出す」
合格通知を持ったまま、浩青は言った。
「あとで返してくれればいい」
「返し終わるまで、失敗できなくなる」
「返さなくてもいい」
「それならもっと無理」
浩青は理解できないという顔をした。
真冬は彼を責められなかった。彼にとって金は、夢へ渡る橋だった。真冬にとっては、渡ったあとも背中へ残る重りだった。
「一緒に行きたかった」
「私も」
「市役所は、真冬の夢なの?」
「古い団地を直して、住み続けられる町を作る。夢じゃないと思う?」
「そういう意味じゃない」
「分かってる。私も最初は、負けたと思ったから」
卒業式の日、浩青はパリ行きの航空券を持ち、真冬は住宅課の辞令を持っていた。
「遠距離で続けよう」
浩青が言う。
「あなたが帰ったら、たぶん経歴も人脈も増えてる。私は家賃補助の書類を書いてる」
「それの何が悪い」
「悪くない。だからこそ、私が自分の仕事を『行けなかった側の人生』として比べ続けるのが嫌なの」
「僕は比べない」
「あなたが比べなくても、私はあなたの隣で比べる」
真冬は学生証を返却箱へ入れた。
浩青も続けて入れた。二枚は同じ色で、同じ大学名が書かれていた。そこから先に必要な金額だけが違った。
「好きだよ」
浩青が言う。
「うん。好きなまま別れよう」
春、浩青は石造りの工房で図面を引き、真冬は雨漏りする市営住宅を歩いた。
二人とも建物を直していた。
ただ、夢と呼ばれるほうへ行くための入場料を払えたかどうかで、別々の未来になった。
進路届の欄には、その差を書く場所がなかった。