煙突が息をした日
廃屋の暖炉に火を入れた瞬間、ドルンは黒煙をまともに浴びた。
「なるほど。家が捨てられた理由は、お前か」
見上げた煙突は煤で塞がり、上部の石が崩れている。窓を開けても煙は逃げず、目と喉を刺した。王都一の厨房で働いていたドルンにとって、火が使えない家は、屋根のない家より深刻だった。
厨房を追われた理由も火だった。宴席の肉を焦がしたのではない。宰相が混ぜろと命じた眠り薬を、鍋ごと火へ捨てたのだ。「料理人は命令だけ聞け」と言われ、辺境行きの荷馬車へ乗せられた。
だから今日は、煙突だけを直す。
鍋も寝床も荷車に残したまま、まず暖炉の灰を掻き出した。灰の下には、前の住人が落としたらしい小さな木匙が埋まっていた。洗えば使える。ドルンはそれを窓辺へ置き、この家で最初に使う食器と決めた。
ドルンは縄を腰に結び、屋根へ上った。詰まった鳥の巣を掻き出し、割れた石を外し、川原で拾った平石を耐火粘土で積む。派手な魔法はない。腕に煤が食い込み、爪の間が真っ黒になった。
石の継ぎ目へ指を当て、風が漏れる場所には粘土をもう一度押し込む。厨房では速さを求められたが、ここでは焼き上がりの時刻を告げる鐘もない。納得するまで直せばよかった。
最後に煙道へ小石を落とすと、からん、からん、と暖炉まで澄んだ音が通った。
もう一度、火を入れる。
薪がぱちりと割れた。煙は室内へ戻らず、まっすぐ上へ吸い込まれていく。暖炉の前へチーズを載せた黒パンを置くと、表面がふつふつ膨らみ、焦げた乳の香りが廃屋を満たした。
戸を叩いたのは、隣の丘で羊を飼う老人だった。煙が真っ直ぐ上がったのを見て、火事ではないかと確かめに来たらしい。
老人は焼けたパンの匂いを吸い込み、目を細めた。
「うちの煙突も、冬になると煙を戻す。卵十個で見てくれんか」
王都では料理人の判断に値段を付けた者はいなかった。ここでは煤だらけの仕事が、次の朝の卵になる。
「明日なら」
ドルンはそう答え、洗った古い木匙でチーズを切った。今夜の客は自分一人。毒見役も、給仕長も、皿数を数える侍従もいない。
焼けたパンを持ち上げると、チーズが長く糸を引いた。
煙突はようやく息をし、家の中には煙ではなく、夕食の匂いだけが残った。明日の仕事を急がず、ドルンは熱い端から齧った。