父の小銭

火葬場の待合室には、後悔を入れる自動販売機がある。亡くなった人が生前に触れた硬貨しか使えず、一枚につき一件、釣りは出ない。投入中に後悔を声にしなければならないが、「ごめん」と「もし」は使用禁止だ。係員は遺族に、その二語を使うと硬貨が天井の蛍光灯まで跳ね返ると説明した。

榎並が財布から出した百円玉は、父の軽トラックの灰皿にあったものだ。洗っても煙草の匂いが落ちなかった。

姉は先に十円玉を入れた。

「去年の正月、帰らなかった」

機械は受け取り、小さな紙パックの牛乳を出した。姉は飲まず、遺影の前に置いた。

叔父は五百円玉で、借りた脚立を返さなかったことを入れた。出てきたのは赤い軍手の右手だけだった。親戚たちは、そういうものだという顔で頷いた。

榎並の番になった。父とは三年、まともに話していない。最後の電話で「今度、野球でも見るか」と言われた。榎並は仕事の画面を見たまま「暇なら」と答えた。父は「暇になったらな」と笑った。入院を知ったのは、その電話から二か月後だった。

百円玉を入れる。投入口の手前で止まり、液晶に〈主語が不足しています〉と出た。

榎並は言い直した。

「俺は、あの電話のあと、自分から一度もかけなかった」

硬貨が落ちた。機械の中で、遠い打球のような音がした。

商品口には、掌に収まるほど小さな麦茶の瓶が一本あった。ガラスは人肌に温かく、王冠の中央が親指の形にへこんでいる。榎並は栓を抜かなかった。待合室の窓の外で、煙突から白い煙が上がり始めた。

帰りの車で、彼は瓶を助手席のカップホルダーに置いた。カーブを曲がるたび、瓶の中から氷のない音が二度ずつ鳴った。信号待ちで覗くと、底に濡れた野球の縫い糸が一本、丸く沈んでいた。

榎並は瓶を自宅のテレビの前へ置き、父が好きだった球団の試合を最初から流した。九回裏になっても王冠は閉じたままだった。最後の打者が空振りすると、底の縫い糸がゆっくりほどけ、ガラスの内側に小さな白いホームベースを一周だけ縫い上げた。