父親、今月末で退任
日曜の朝、越名家の父は味噌汁を一口すすり、娘に向かって言った。
「父さん、今月末で父親を辞めることになった」
「は?」
高校二年の娘は箸を止めた。母は平然と焼き鮭をほぐしている。
「急な話ですまない。もう後任も決まっている」
「後任?」
「引き継ぎは来週からだ。腕章と懐中電灯も返す」
「父親って腕章制だったの?」
父は重々しくうなずいた。
「お母さんとも相談した。潮時だろうと」
「お母さん、何を相談したの!」
「三年やったしねえ」と母。
「三年? 私は十七年あなたたちの娘なんだけど!」
娘は椅子から立ち上がった。
「私と弟はどうなるの」
「家庭では今まで通りだ」
「家庭では?」
「外では、もう父さんの判断で動けない。次の人に任せる」
「外に別の家庭があるの?」
「二百八十世帯ほど」
「規模が大きすぎる!」
「後任は向かいの自治会役員だ。声も大きいし責任感もある」
「私たちの新しい父親を、町内会で選ばないで!」
父は指を折って説明した。
「夜は見回り、朝は横断歩道、夏祭りでは迷子の対応。困っている子には声をかける。父親として当然の仕事だ」
「全国の父親に謝って。そんな業務、聞いたことない」
「送別会も開いてくれるそうだ」
「父親を辞めて宴会するの?」
「記念品は防犯ブザーらしい」
「退職金は?」
「商店街の商品券三千円」
「父親の退職金が現実的すぎる!」
「離婚より分からなくなってきた!」
娘が母へ助けを求めると、母は食器棚から筒を取り出した。中から、金文字の賞状が現れる。
『桜堤地区おやじ防犯隊 隊長退任感謝状』
娘は三度読み返した。
「……おやじ防犯隊の『父親』?」
「みんなから『地域のお父さん』と呼ばれていたからな」
「それを最初に言って!」
父は不思議そうに首をかしげた。
「家の父親まで辞めるわけないだろう」
「後任が決まったって言われた娘の気持ちを考えて!」
その夜、家族で退任祝いのケーキを食べた。プレートには母の注文で、こう書かれていた。
『祝・外の父親卒業』
娘は空いた部分へチョコペンで一行足した。
『家の父親は終身雇用』