王を立たせた一言
渡瀬紬は、召喚直後からひどく眠かった。
石造りの大広間、百人の近衛、黄金の玉座。夢にしては細部が多すぎる。しかも鑑定師が額へ翡翠の輪を当てるたび、頭の内側で鐘が鳴った。
翡翠は灰色のまま沈黙した。
「能力なし。女ひとり呼び出して、この有様か」
若い宰相が吐き捨てる。玉座の少年王も、困ったように視線をそらした。
そのとき紬には、王の背後に立つ巨大な竜の彫像から、かすかな寝息が聞こえた。
翡翠の輪には映らなかったが、彼女の視界には一行だけ浮かんでいる。
《真名告知》
あらゆる存在の本当の名を一度だけ知り、呼ぶことができる。
彫像の台座には《建国竜グラン》と刻まれていた。けれど、それは名前ではない。紬の耳には、もっと長く、懐かしい響きが届いていた。
宰相が衛兵を呼ぶ。
「城外の施療院へ回せ。せめて労働力にはなるだろう」
紬は玉座を見た。少年王の指が、肘掛けを強く握っている。竜の像は国が滅びるときだけ目覚めるという。召喚前に聞かされた説明を思い出す。ならば今、この国は既に、そのときなのだ。
「ねえ」
紬は竜を見上げた。
大広間の全員が、無礼な異邦人を止めようとした。
それより先に、彼女は一度だけ、本当の名を呼んだ。
「エル=アステラ。起きて」
彫像の瞼が開いた。
石の翼から千年分の埃が落ち、床を白く染める。黄金の瞳が紬を捉え、次いで少年王へ向いた。近衛たちの槍が震える。宰相は声も出せず、段差につまずいた。
竜は首を垂れた。紬にではない。少年王へでもない。
ただ、真名を知る者に対して、古い盟約の礼を取った。
玉座から少年王が立ち上がる。それにつられるように、百人の近衛が一斉に姿勢を正した。最も遅く立ったのは、青ざめた宰相だった。
紬は欠伸を噛み殺した。
彼女を城外へ運ぶはずだった衛兵たちは、今や道を塞ぐどころか、竜と紬の間を空けるために左右へ退いていた。