甘くない試香紙

雛乃は試香室に入ると、私の手から瓶を取り上げた。

「直接嗅がないで。今日は特に」

そのくせ、自分が使った手袋は捨てず、透明な袋へ密封する。神経質な子だ。以前、香料で腕を赤くしてから、何にでも怯えるようになった。

化粧品会社の開発室で、私は雛乃の面倒を見ていた。彼女は鼻がよく、香りの組み合わせも繊細だが、体が弱い。締切前に休まれれば困るから、試作品の管理や発表は私が引き受けることが多かった。

彼女が休むたび、私は上司へ「また体調管理ができていません」と報告した。雛乃の席が空いている日に限って私の評価が上がるのは、私が責任を背負っている証拠だった。

春の限定香水は、白い花に雨の匂いを重ねた自信作だった。雛乃が基礎案を出し、私が甘さを削って完成させた。発表当日、彼女はまた首元を赤くしていたので、私は一人で会議室へ向かうつもりだった。

だが、先に資料を投影したのは雛乃だった。

「処方設計は私です。朋花さんの名前では提出できません」

手柄を横取りされた怒りより、哀れさが先に立った。追い詰められて、判断までおかしくなったのだ。

「最後の調整をしたのは私よ」

「R-17を入れたことですか」

「香りに深みが出たでしょう」

「使用禁止の原料です」

品質管理の担当者が、密封袋を受け取った。雛乃の手袋からR-17が検出され、試作品のラベルだけが別原料へ貼り替えられていたという。

私は説明した。少量なら問題ないと思った。彼女が過敏すぎるから反応しただけだし、発売前に安全性を確認するためでもあった。

「だから私にだけ、濃い試作品を渡したんですね」

「あなたが一番、違いに気づけるから」

雛乃は、私が彼女の机へ置いた瓶を示した。防犯映像には、ラベルを剥がす私の背中も残っていた。

企画は中止になり、過去の処方も調査されることになった。雛乃は自分の案を盗られたと一度も言わなかった。ただ、これ以上誰にも使わせないために、自分の名で説明したのだ。

密封袋の手袋には、私の青い油性ペンで「R-17」と書かれていた。