白手袋は春に返す

昭和十一年、依知川萩乃と秋鹿芙佐は、女学校を卒業するまで恋人でいると決めた。

卒業後、萩乃は師範学校へ進み、遠い町で教師になる。

芙佐は家の決めた相手へ嫁ぐ。

二人の将来は、入学した頃から家族によって別々の帳面へ書かれていた。

「それなら、卒業までは私たちのものにしましょう」

芙佐が図書室で言った。

二人は放課後、裁縫室に残った。

卒業式で着ける白手袋を、互いのために縫う。

萩乃は指を少し長く作りすぎ、芙佐は親指をきつく縫った。

「あなたの手を見ないで縫うから」

「毎日つないでいるのに」

「見るのと、覚えているのは違います」

冬のあいだ、二人は同じ本を読み、同じ帰り道を歩いた。

人前では名字で呼び、誰もいないときだけ名前を呼んだ。

卒業が近づくにつれ、芙佐は「嫁ぐのをやめたい」と言う回数が増えた。

萩乃はそのたび、「では一緒に逃げましょう」と答えた。

二人とも本気ではなかった。

芙佐が家を出れば、病弱な母と妹の暮らしが立たない。

萩乃が進学を捨てれば、女子も学べる学校を作りたいという夢を失う。

逃げた先で相手の犠牲を数える恋にはしたくなかった。

卒業式の朝、二人は白手袋を交換した。

内側には、誰にも見えない赤い糸で名前が縫ってある。

〈萩乃〉

〈芙佐〉

式のあいだ、二人は離れた列に座った。

校歌を歌う声が何度も震えた。

門を出ると、芙佐の許婚の家から迎えが来ていた。

萩乃の乗る汽車も、一時間後に発つ。

「手袋、返します」

芙佐が右手を外した。

「私の手に合わせて縫ったのに」

「これからは、あなたの名を身につけていてはいけないから」

萩乃も自分の手袋を外した。

けれど返さず、芙佐の左手へ重ねた。

「一組では持てないなら、一枚ずつ持ちましょう」

「片方だけでは使えません」

「使えないからいいの。誰かの妻や先生としてではなく、私たちだった春を覚えるために」

芙佐は泣かずにうなずいた。

人が来る。

二人は急いで手袋を鞄へしまい、名字へ戻った。

「依知川さん。お元気で」

「秋鹿さんも」

それが最後の会話になった。

何年後も、萩乃は教壇へ立つ前、机の抽斗にある白手袋へ触れた。

芙佐も、婚礼の日には使わなかった片方を、裁縫箱の底へ隠した。

二枚が再び一組になることはなかった。

けれど卒業までの時間だけは、家の名にも嫁ぎ先の名にも縫い直されず、赤い糸の内側に残り続けた。