白蝋の印章

廉彰が携えていたのは、王の降伏文書だった。

絹には「東塞を明け渡し、兵三千を武装解除せよ」とある。末尾には玉璽。白い蝋に龍が沈み、欠け一つない。敵に奪われれば本物と信じる。味方に届いても、文面どおりなら城は終わる。

ただし東塞の守将・杜環だけは知っている。王が自由な意思で押すとき、白蝋を使わない。白は刀を首に当てられたときの色だ。

廉彰は敵軍の正門へ歩いて入った。甲冑は脱ぎ、髪をほどき、文書を頭上へ掲げた。

「王都から東塞へ。降伏の勅だ」

敵将の幕舎へ通されるまで、三度殴られた。二度目で左耳が聞こえなくなり、三度目で膝が笑った。それでも文書だけは胸より下へ落とさなかった。勅を守る男に見えなければ、勅を利用する価値も消える。幕内には香炉と地図、そして赤衣の将軍・蒙牙がいた。蒙牙は文書を読み、笑わなかった。

「なぜ我が陣を通る」

「北道は焼かれました。南道は貴軍が塞いでいる」

「ならば、ここで預かればよい」

廉彰は膝をついたまま、白蝋を見た。玉璽を守るふりをすれば疑われる。渡せば、東塞へ届かない。

「お預けします。ただし明朝、城が開かなければ、貴将が勅を握り潰したと王都へ伝わります」

蒙牙の眼が細くなった。王の降伏を自分の手柄にしたい男と、王を完全に屈服させたい宰相派が敵軍内で争っていることを、廉彰は賭けに使った。

「私を殺せば、使者が消えたことだけが残る。私を通せば、東塞はあなたの名で落ちる」

一回の交渉だった。二度目の言葉は命乞いになる。廉彰は口を閉じ、蒙牙が自分の野心と相談する音だけを待った。香炉の灰が一筋崩れた。

蒙牙は白蝋へ爪を立てた。蝋は硬く、龍の鬚まで鮮明だ。偽造ではない。だが白を何と読むかまでは知らない。

「護衛を二騎つけろ」

廉彰は頭を下げた。護衛は監視であり、敵陣を抜けるための盾になった。

夜明け前、東塞の石門で杜環は文書を受け取った。文面を読み、玉璽を見、最後に蝋の色を確かめた。護衛二騎は背後で開門を待っている。

杜環は白蝋を親指で割った。

「勅を奉じる」

護衛が笑う。

杜環は城内へ向き直った。

「弩兵、南壁へ。敵将蒙牙の旗だけを狙え」

鐘が一度鳴り、東塞の全弩に弦を張る命令が下った。