監督欄だけ空白
映像研究会の上映室で、鏡原周吾は自分の監督作を三度目だけ途中で止めた。
白いスクリーンに、海辺を走る人物の背中が凍りつく。浅羽依里子はミキサー卓から手を離し、早乙女冬馬は最後列の椅子を前後に揺らした。
「また音ずれ?」と依里子。
「違う。ここから先、見なくていい」
「二年間撮ったのに?」
周吾の父が倒れ、実家のコインランドリーを閉めるか継ぐかという話になったのは先月だ。周吾は継ぐことを選び、同時に映画もやめると言った。
「店番しながら脚本は書ける」と冬馬。
「洗濯物が回ってる横で、人の人生を回す話を書くのか」
「それ、むしろ撮れる」
「何でも映画にするなよ」
停止した場面の直後には、主人公が白いシーツをくぐるカットがある。周吾が父の店で撮った唯一の映像だった。依里子は乾燥機の回転音を録り直すため三晩通い、冬馬は朝の光を待って始発前から構えた。
「私は音響会社へ行く。結婚式のマイク調整から始める」と依里子。
「俺は漁船に乗る。海上ドキュメンタリーの撮影助手」と冬馬。
二人が周吾を見る。
「俺は乾燥機のフィルターを掃除する」
「それだけ?」
「それだけを、ちゃんとやる」
映画は学内祭にも学生映画祭にも選ばれなかった。それでもラストの海だけは、三人とも黙って見た。依里子の風、冬馬の夕日、周吾が何度も書き直した背中が、一つの画面にあった。
エンドロールが流れる。撮影、早乙女冬馬。録音、浅羽依里子。監督の欄は空白だった。
「名前、消したの?」
「店の名前を入れようか迷ってる」
「映画は残すんだ」
「店も映画も残すほど、器用じゃない」
依里子が上映室の照明を半分だけ上げると、周吾の足元に店の洗濯用トークンが落ちていた。冬馬が拾って投げ返す。『次は客として行く』。周吾は受け取り、『映画の感想は禁止』と言った。三人は、それを再会の約束にはしなかった。
周吾は冗談めかして立ち、先に上映室を出た。彼の折り畳み椅子には、名前を書いた白いテープの跡だけが残る。スクリーンでは、名のない作品が終わり、映写機の光だけが誰も座らない三列の椅子を照らし続けた。