真鍮の匙

 白岫山城の台所で、宋佳藍は真鍮の匙を磨いていた。

 磨くものなど、もうそれしかなかった。

 甕の底には粟が二掴み。干し肉は四日前に尽きた。城兵は松皮を噛み、負傷者は雪を舐めている。

 そこへ北軍の副将・徐泰勲が、休戦の使者として入ってきた。

「将軍は三日待つ。その間に降れば、城主一族の首だけで済ませる」

 城主の羅承岳は無言だった。返事をすれば声の弱さで飢えが知れる。

 佳藍は盆に椀を一つ載せ、徐の前へ置いた。真鍮の匙には、配給を減らすたび柄へ刻んだ傷が七本あった。粟の上澄みに、昨年から匙の柄へ詰めておいた牛脂を溶かしてある。湯気は肉の匂いをまとっていた。

「城の夕餉です」

 徐は匙を取り、粥を一口すすった。

「使者へ出すにしては粗末だ」

「兵には干し肉がつきます」

 嘘だった。だが真鍮の匙には脂が残り、徐の舌にも確かな味が残った。

 卓は椀を押し返した。

「まだ食える、と見せたいか」

「そう見えましたか」

 佳藍は匙を受け取り、布で拭いた。徐の目が細くなる。読み合いはそこで終わった。疑わせればいい。確信だけは与えない。

 北軍は明朝の総攻めを決めている。三日待つという言葉は、こちらの兵糧を測る針だった。

 こちらが飢えていると悟れば今夜来る。まだ蓄えがあると思えば、予定どおり明朝まで陣を動かさない。

 そして今夜、南の谷を援軍が通る。

 徐は立ち上がった。

「三日後、返事を聞く」

「匙をお忘れです」

「敵の匙など要らぬ」

 佳藍は笑わなかった。使者が去るまで、空の甕にも背を向けたままだった。

 扉が閉まると羅承岳が訊く。

「信じたと思うか」

「信じてはいません」

「では」

「疑うためには、待たねばなりません」

 佳藍は匙の柄を石へ打ちつけた。詰めてあった脂の最後の一片が落ちる。彼女はそれを負傷した少年兵の口へ入れた。

 夜半、北軍の陣は動かなかった。城兵は火を焚かず、空腹の腹を布で締め、物音一つ立てずに待った。疑いを抱かせた以上、こちらから答えを教えてはならない。

 南谷の見張り台で、小さな火が三つ瞬いた。援軍到着の符牒だった。

 羅承岳は初めて息を吐き、城壁へ駆け上がる。

 東の峰に、味方の白い旗が上がった。