眠りの量り売り

病院裏の路地に、夜だけ「眠り一晩分」と看板を出す店があった。

店内には砂時計が並び、店主は眠りを紙袋へ量って入れた。

父の介護をする娘は、何か月もまともに眠っていなかった。

「八時間ください」

「代金は、まだ実現していない夢を一つ」

娘は、いつか海辺を旅行する夢を差し出した。

その夜は深く眠れた。

父の呼び鈴にも気づかず、朝まで一度も目を覚まさなかった。

次の週、また買った。

代金は、小さな喫茶店を開く夢。

次は、もう一度学校へ通う夢。

眠りは甘く、朝の体は軽かった。

使うほど、娘の手帳から未来の予定が消えた。

介護が終わったら何をしたい、と友人に聞かれても、何も浮かばない。

ただ、今夜眠りたいことだけははっきりしていた。

ある日、父が娘の古い旅行雑誌を見つけた。

「ここへ行くと言ってたな」

「そうだっけ」

「店をやるとも」

「誰が?」

父は黙った。

その夜、娘は最後の紙袋を買いに行った。

店主は空の皿を出した。

「今度の代金は?」

娘にはもう夢がなかった。

「何でもいい。明日の希望とか」

「ない物は買い取れません」

店主は初めて、眠りを売らなかった。

家へ戻ると、父がベッド脇で転んでいた。

怪我はなかった。

それでも娘は怖くなり、声を荒らげた。

「どうして呼ばなかったの」

「お前が眠れなくなるから」

父は介護サービスを増やすことに反対していた。

他人の世話になるのが嫌だと言い続けた。

だが娘が夢を忘れたことの方が、今は怖いらしい。

二人で地域の窓口へ相談した。

訪問介護の日を増やし、親戚にも頼った。

娘は最初、眠るために人へ迷惑をかけるようで落ち着かなかった。

それでも昼寝を一時間し、夜に六時間眠った。

買った眠りほど深くはない。

途中で目も覚める。

けれど朝、昨日の続きが残っていた。

数か月後、父が亡くなった。

娘は悲しみでまた眠れなくなったが、路地の店へは行かなかった。

友人の家へ泊まり、同じ部屋で夜を越した。

春、海辺の町の広告を見ても、胸は動かなかった。

差し出した夢は戻らない。

それでも娘は切符を一枚買った。

行きたいからではなく、行けば何かを好きになるかもしれないと思ったからだ。

眠りは未来の代わりではない。

休むとは、夢を売ることではなく、夢が戻る空きを作ることだった。