砂糖を減らした理由
万里野食品との商談会で、皆川達路部長は新作の柚子菓子を「私が育てた味です」と紹介した。
牧羽透子が十二か月かけて作った商品だった。皆川がしたことといえば、完成品を試食して「もっと高級に見せろ」と箱の色を変えさせたことくらいだ。その色さえ百貨店の指定色だった。社内表彰の推薦書には、皆川が単独で開発したと記されていた。それでも発表資料から透子の名は消え、壇上には皆川だけが立った。
大手百貨店の食品統括、岩城巴絵は、試食品を半分だけ齧った。
「砂糖を二割減らした理由を教えてください」
皆川は待っていましたとばかりに笑った。
「健康志向です。私が市場を先読みしました」
「では、甘味を落としたのに賞味期限が延びた理由は?」
「最新の保存技術で」
「具体的には?」
皆川は水を飲んだ。
透子は末席から答えた。砂糖を減らしたのは健康訴求ではなく、柚子皮の苦味が最も美しく残る濃度だったこと。水分活性は米飴と焼成温度で制御し、個包装の窒素置換を弱くして香りの立ち上がりを守ったこと。岩城は、ようやく味の話が聞けたという顔で笑った。
皆川が遮った。
「牧羽君は私の指示を数字にしただけです」
岩城は鞄から、油染みのついた小さなノートを出した。透子が試作室でなくしたものだった。百貨店の試食担当が拾い、岩城へ渡していた。
「百八十六回の試作記録。皆川さんの指示が書かれたページは一枚だけ。『原価を下げろ』ですね」
周囲から乾いた咳が漏れた。
岩城は二通の書類を並べた。一通は全国七十店舗での年間販売契約。もう一通は取引責任者の指定書だった。
「私たちは、肩書ではなく、この味を守れる人と組みます。牧羽さんを商品責任者にしてください。皆川さんが承認者なら、採用は撤回します」
社長が透子へ確認した。
「任せてもいいか」
「はい。味を変えない権限もいただけるなら」
岩城は即座に署名した。
「もちろんです」
皆川が祝杯用に冷やしていたシャンパンは、責任者欄に透子の名が入った瞬間、誰からも開けてもらえない瓶になった。