祈りの銀貨に刻まれた名

大聖堂の慈善夜会で、婚約者コルヴィンは祈りの最中にオルテンシアを指さした。

「貧民救済の献金箱から銀貨五百枚を抜いたのは彼女だ。聖職者を装った横領を許すわけにはいかない。婚約は破棄する」

白い卓上に、空になった献金袋が置かれる。袋の口には、オルテンシアの家紋が縫われていた。

彼女は週に一度、名を告げず救済所の鍋を洗っていた。けれど社交界が覚えているのは、寄付額の不足を容赦なく指摘する横顔だけだ。「数字しか愛さない女」という評判は、今夜の断罪に都合よく使われた。

参列者の視線が棘のように集まったが、彼女は膝をつかなかった。ここで俯けば、救済所で彼女を信じて待つ者まで、盗人の施しを受けたことにされてしまう。

「その銀貨が私の手へ渡ったと、殿下は誓われますか」

「聖壇の前で誓おう」

オルテンシアは短く頷いた。

「ならば、袋に残った最初の一枚をお確かめください」

祭壇脇に立っていた大司教補佐ノクティスが、献金袋の裏地から黒ずんだ銀貨を外した。大口の寄付袋には、最初に納められた一枚を《母銀貨》として縫い留める。袋を開いた口座と受取人を、一度だけ光へ変えるためだ。

ノクティスが銀貨を聖水へ浸すと、銀の文字が聖堂の天井へ広がった。

――受取人、コルヴィン・エスタージュ。

――私設礼拝堂改装費へ振替。

祈りのための静寂が、今度は断罪者を縛った。

「私設礼拝堂は公共事業だ」とコルヴィンが叫ぶ。

「浴場と賭博室を備えた礼拝堂が、ですか」

オルテンシアはそれ以上責めなかった。一枚の銀貨が、一つの嘘をすべて語っていた。

コルヴィンは周囲の顔色を見て、すぐに態度を変えた。

「婚約破棄は言い過ぎた。お前も私を支えれば、献金の件は内々に――」

「貧しい人々の祈りを、取引材料になさらないで」

彼女は婚約証の鎖を外し、空の献金袋へ落とした。

ノクティスが祭壇から降り、聖堂の外へ向かって片手を差し出す。そこに庇護の言葉はなかった。ただ、救済院の新しい会計官として共に歩く意思だけがあった。

オルテンシアはコルヴィンに背を向け、銀貨の光が消える前に、その手を取った。