空を縫う針
戦闘の終わった谷へ、黒い雨が降り始めた。
魔獣の腹から噴き上がった血が雲に混じり、雫になって戻ってきたのだ。鎧は泡を吹き、地面の草は触れた端から骨のように白くなる。ヴァデラの足元では、腹を裂かれたフォルガが息をしていた。谷を出るまで半刻。雨の中では三分ももたない。
彼女は裁縫箱から、目のない銀針を取り出した。
針に棲む悪魔との契約は、一針で空の裂け目を一つ閉じる。その同じ糸が、ヴァデラの身体の二か所も永久に縫い合わせる。どこが縫われるかは針が選ぶ。
最初の一針を雲へ投げる。
銀糸が空を走り、雨の筋が一つ途切れた。同時に左手の小指と薬指が皮膚ごと縫い合わさる。痛みで息が止まった。
二針目。雨の幕に、細い乾いた道ができる。右の耳が首へ縫いつけられ、もう振り向けない。
ヴァデラはフォルガを背負った。後ろから、生き残った三人がよろめいて続く。
三針目で右腕が脇腹へ縫われた。剣を捨て、左腕だけでフォルガを支える。
四針目。左膝の皮膚が腿へ引きつれ、脚が伸びなくなる。彼女は跳ねるように進んだ。
「置いていけ」とフォルガが耳元で言った。「おまえまで、縫い物になる」
谷の出口は見えている。だが最後の十歩だけ、雨が壁のように濃い。後ろの兵が一人、肩を打たれ、肉の煙を上げた。
ヴァデラは五針目を抜いた。
「針は、もう戻せないぞ」
悪魔が糸穴から笑う。
「戻るために使うんじゃない」
彼女は空の中央を大きく縫った。
黒雲が左右へ引き寄せられ、裂け目の向こうから白い光が落ちる。谷の出口まで雨が止まった。
その代わり、ヴァデラの両唇を銀糸が走った。口が完全に縫い閉じられる。さらに左腕と胸、両足首まで一本の糸で引かれ、身体が祈るような形へ折り畳まれた。
兵たちは彼女を担ぎ、乾いた岩棚へ転がり込んだ。フォルガも生きていた。彼は震える指で口の糸を切ろうとしたが、刃が触れるたび銀糸は皮膚の奥へ逃げる。
「名を言ってくれ。眠るな、ヴァデラ」
彼女は答えられない。頷くことも、手を握ることもできない。
雨は止んだ。助かった者たちは歓声を上げた。
その中央で、かつてヴァデラだったものは、銀糸で人の形に結ばれた一つの固い結び目として、朝の光を受けていた。