空調が黙る十二秒

 駅へ停まるたび、空調は十二秒ほど黙った。

 琴美はそれを四駅前から数えている。ドアが開く。冷気の唸りが止まる。ホームの雨音と案内放送が車内へ入り、十二秒ほどしてドアが閉まる。床下の機械が回り始め、空調もまた低い息を吐く。

 一、二、三。

 今日は取引先との食事会だった。九人のテーブルで、琴美は話の途切れ目を見つけるたび質問をし、笑うべきところで笑い、空いた皿を端へ寄せた。帰り際には「盛り上げ上手ですね」と言われた。誉め言葉なのに、終電へ乗った瞬間から、もう一言も声を出したくなかった。

 四、五、六。

 車内には、琴美のほかに若い男性と、買い物袋を膝へ置いた女性がいた。誰も話さない。蛍光灯はまっすぐ白く、吊り革は発車のたび同じ方向へ傾く。雨に濡れたホームが、開いたドアの四角だけ明るく見えた。

 七、八、九。

 向かいの女性がスマートフォンを見て、突然、肩を揺らした。声を出さないよう口元を手で押さえている。画面には何が映っているのか分からない。笑いは一度で収まり、女性は何事もなかったように買い物袋の持ち手を直した。

 十、十一、十二。

 ドアが閉まり、空調が戻った。琴美はその短い笑いを、自分へ向けられたものではないと知っている。それでも、音のない車内のどこかに、誰かの可笑しいものが一瞬だけ存在した。

 次の駅でも、空調は黙った。

 今度は数えなかった。ホームの屋根を雨が細かくたたき、駅員の靴音が遠ざかる。男性が降り、女性も二つ先のドアから出た。誰も琴美へ挨拶せず、琴美も何も言わない。

 終電は再び走り、車内は一人になった。空調の風が首筋へ当たり、乾きかけた髪を揺らす。食事会で交わした言葉が頭へ戻りかけたが、琴美は追いかけなかった。

 静けさは、会話が失敗したあとの穴ではない。十二秒でも、二駅でも、ただ黙っていられる時間だった。

 自宅の駅でドアが開く。空調が止まり、雨音が入ってくる。琴美は最後まで数えずに立ち上がった。今夜は誰かを楽しませなくても、この静けさの中なら一人で帰れそうだった。