約束を鳴らす目覚まし

祖父の目覚まし時計は、針が外れてからも捨てられなかった。

真鍮の鐘が二つ付いた古い時計で、祖母が新婚旅行先で買ったという。

祖母が亡くなったあと、祖父は枕元へ置いたまま一度も鳴らさなかった。

ところが、孫娘が泊まりに来た夜、午前三時に突然鳴った。

時計には針がない。

祖父は布団から飛び起き、鐘を押さえた。

「何の時間?」

孫娘が聞いた。

祖父は首を振った。

少し考えて、顔色を変えた。

「流星群を見る約束だった」

祖母が亡くなる前、二人で庭へ出ると話していた夜だった。

祖父は病院の疲れで眠り、祖母を起こさなかった。

翌週、時計は午後四時二十分に鳴った。

祖父は、孫娘と焼き芋を作る約束を忘れていた。

その次は朝七時。病院へ検査結果を聞きに行く日だった。

時計は、祖父が忘れた約束の時刻になると鳴るらしい。

祖父は便利だと笑った。

孫娘は少し心配になった。

約束を忘れる数が、以前より増えていたからだ。

ある日、夕方六時に時計が鳴った。

予定表にも手帳にも何もない。

祖父は一日中考え、夜になってようやく分かった。

「お前の母さんが小さい頃、毎日六時には帰るって約束した」

仕事ばかりで、守れなかった約束だ。

「今さら鳴っても遅いな」

祖父は笑ったが、孫娘は母へ電話した。

母はしばらく黙り、「まだ覚えてたんだ」と言った。

翌週、三人で夕食を食べることになった。

祖父は五時から玄関を掃き、時計を何度も確認した。

六時になる前に母は来た。

食卓で、祖父は昔のことを謝ろうとした。

けれど「悪かった」の一言の前に、目覚まし時計が鳴った。

まだ六時ではない。

三人で驚いていると、孫娘が笑った。

「今日の約束は、謝ることじゃなくて一緒に食べることでしょ」

祖父は鐘を止め、鍋の蓋を開けた。

母は「焦げ臭い」と言いながら席についた。

数か月後、祖父は介護施設へ移った。

目覚まし時計も持っていった。

針のない時計は、昔の約束だけでなく、新しい約束にも鳴った。

孫娘が来る日、母が髪を切る日、皆で桜を見る日。

祖父が日時を忘れても、約束した相手の顔まで消えるわけではない。

鐘が鳴るたび、誰かが迎えに来た。

最後に時計が鳴ったのは、祖父の部屋が空になった翌朝だった。

孫娘は祖父と約束した通り、祖母の墓へ時計を持っていった。

鐘を一度だけ鳴らし、

「流星群、今度こそ一緒に見てね」

と二人へ頼んだ。