紙魔術師の前に立つ男
貴族学院の合同試験で、紙魔術師エシェナを選ぶ者はいなかった。
彼女の魔法は、地図を一枚描くことだけ。火球も治癒も使えず、雨に濡れれば成果まで滲む。防御役のガランツが彼女の隣へ立つと、上級貴族の試験官は鼻で笑った。
「庶民同士、よい組み合わせだ。標的を守れなければ二人まとめて退学とする」
一週間前の野外演習で、エシェナの地図は崩れた橋と魔物の巣を正確に避け、班を最短で帰還させた。試験官はそれを『臆病者の遠回り』と切り捨て、自分の戦術として報告した。ガランツは口論しなかった。代わりに今日、彼女の地図が燃えない場所へ立つと決めた。
試験場には細い白線が引かれ、その内側にエシェナが描いた避難経路図が置かれた。守るべきものは本人と地図。ガランツは剣も盾も抜かず、両腕を下ろしたまま彼女の前へ立った。
ほかの組は高価な耐火幕を三枚も重ねていた。ガランツの足元には紙の地図しかない。それでもエシェナが『離れてもいい』と言うと、彼は白線を踵で確かめ、『ここが一番短い道だ』と答えた。
試験官が炎杖を振る。《赤嵐》が円内を舐め、爆風と黒煙が二人を覆った。周囲の旗が燃え、石像の顔が溶ける。
勝ち誇った試験官が異常に気づいたのは、足元へ白い紙片が滑ってきたときだった。
試験前にエシェナが切り落とした地図の余白だ。炎の外にあったそれは焦げている。ならば中心に置かれた地図が無事であるはずはない。だが煙の中から、羽根ペンが紙を擦る音が続いていた。
煙が晴れる。ガランツは両腕を下ろした同じ姿勢で立ち、その背中でエシェナは地図へ出口を書き足していた。髪も紙も、乾いたままだった。
「耐火結界程度で、私を侮るな!」
試験官は杖の封印環を外した。火炎を一点へ圧縮する禁術《小陽槍》。試験用ではないと教官たちが止めたが、彼は聞かなかった。
白い火の槍が走る。煙が晴れたあとも、ガランツの踵は白線に沿ったまま一寸もずれていない。
エシェナは完成した地図を掲げた。そこには攻撃を避ける道ではなく、ガランツの背後から試験場の全員を逃がす道が描かれていた。
試験官は、自分だけが守られる側に含まれていたと悟った。
炎杖を握ったまま、彼は一歩退いた。