翡翠百貨店の試着札

翡翠百貨店の特別試着室で、九鬼冴子は絹のドレスを床へ踏みつけた。

「縫い目が裂けたわ。こんな欠陥品を私に着せたの? 担当の澄乃を辞めさせて、代金の十倍を払いなさい」

 冴子は人気配信者で、試着の様子を生中継していた。画面には〈百貨店の闇を暴く〉という題が躍る。

 販売員の澄乃は、破れた脇線を一度見ただけで、返品確認票を差し出した。

「破損を確認された時刻と、試着中に鋭利な物を使用していない旨をご記入ください」

「当然でしょう」

 冴子は大きく署名し、カメラへ見せつけた。

「ほら、逃げ道を塞いであげたわ」

 澄乃は試着札を裏返した。そこには肉眼では薄い、翡翠色の連続番号がある。

「当店の一点物は、試着札と縫い糸へ同じ番号を織り込みます」

 裂け目を拡大すると、糸の番号は途中で変わっていた。右半分だけ、量販店の模造品から切り取った布が縫いつけられている。

 冴子の笑顔が固まる。

「店がすり替えたのよ」

「では配信を十七分前へ」

 視聴者が先に気づいた。冴子は澄乃を飲み物へ行かせた隙に、バッグから偽ドレスを出し、本物の試着札を付け替えていた。カメラを切ったつもりだったが、鏡の中の予備端末には一部始終が映っている。さらに彼女は小型鋏で偽物を裂き、同行者へ囁いていた。

『炎上すれば慰謝料も案件料も取れる。店員は泣かせたほうが数字になる』

 コメント欄が滝のように流れた。切り抜き動画の題も、もう〈百貨店の闇〉ではなく〈配信者の自作自演〉へ変わっている。

 冴子は端末を叩き落とそうとしたが、澄乃が返品確認票を持ち上げる。

「こちらには『鋭利な物を使用していない』との署名があります」

「撮影用の台本よ! スポンサーも了承済み!」

 その瞬間、配信へ化粧品会社の広報責任者が接続した。

『了承していません。当社名を詐欺行為の口実に使わないでください』

 続いて百貨店の保安責任者が扉を開けた。

 広報責任者は画面の向こうで契約書を開き、読み上げた。

『九鬼冴子との全広告契約を即時解除し、詐欺未遂について刑事告発することを通知します』