聖女様と呼ばせない団長
セレナが騎士団の治療院へ来てから、「聖女様」と呼ぶ者はいなくなった。
最初にそう呼んだ司祭へ、騎士団長オルフェンが低く告げたからだ。
「名で呼べ」
彼は普段、必要以上の言葉を使わない。訓練の失敗には冷たい視線を返し、言い訳をした騎士には退場を命じる。だがセレナがその呼び名で肩を強張らせることだけは、誰より早く気づいた。
神殿で「聖女様」は命令の前置きだった。治せ。祈れ。笑え。断れば、聖女なのだからと押し切られた。
オルフェンは朝の治療院に香草茶を運ばせるときも、彼女の杯から甘味を抜かせる。甘い茶が苦手だと話したのは一度きりだ。
「よく覚えていらっしゃいますね」
「忘れない」
それだけ言って、自分は冷めた茶を飲む。
ある日、大神官が兵を連れて治療院へ現れた。
「聖女様、神殿へお戻りください」
セレナの手が止まる。オルフェンは剣を抜かなかった。ただ、彼女の前に湯気の少ない白湯を置いた。緊張したときは熱い飲み物を受けつけないことまで知っている。
「私は戻りません」
大神官は聞こえなかったように笑う。
「魔族との戦いが再開します。あなたの治癒は国のものです」
「私のものです」
「聖女に私情は許されない」
椅子が鳴った。オルフェンが立ち上がる。
「その呼び名をやめろ」
「騎士団長ごときが神殿に逆らうか」
オルフェンはセレナの前へ出なかった。彼女自身の言葉を隠さない位置で、ただ大神官の進路を塞ぐ。
「帰るか、残るか。決めろ」
「ここに残ります。治したい人だけ治します」
彼は一度頷いた。
大神官が腕をつかもうとした瞬間、オルフェンの剣が床へ突き立つ。石板が割れ、誰も一歩も進めなくなった。
「連行はさせない」
「王命が下ればどうする」
「同じだ」
治療院の騎士と司祭が見守る中、団長は扉を開けた。
「退出しろ。ここにいるのは聖女ではない。セレナだ。彼女の『残る』は、神殿の命令より先に守る」