胡桃を避ける鉛筆
鳴海杏奈が市民料理教室の古本市で買った菓子の本には、材料欄を囲む鉛筆の丸が増えていった。
最初は胡桃。次はアーモンド。その次は、ヘーゼルナッツ。どれも杏奈が避けている木の実だった。買った時にはなかった印だ。
杏奈はアレルギーのことを大げさに扱われるのが苦手だった。材料を確認するたび場が止まり、申し訳なさそうな顔をされるからだ。歓迎会の件も、救急車を呼ぶほどではなかったと笑って済ませた。それ以来、杜若は試食皿を勧めなくなり、宗像は全員分の材料表を読み上げるようになった。親切が距離に変わったことを、杏奈は少しだけ寂しく思っていた。
本は教室の共用ロッカーへ置いている。触れられるのは、講師の宗像、古本市を担当した立花、同じ班の杜若くらいだった。
手掛かりは三つ。丸がつくのは杏奈が付箋を貼った頁だけ。欄外の「NG」は製菓厨房で使う略し方。そして鉛筆の粉には、先週の実習で杜若だけが扱ったココアが混じっていた。
宗像は衛生点検の印ではないと言い、立花は古本市の時点で書き込みを確認していないと記録を見せた。杜若は質問するたび別のボウルを洗い始めた。以前なら笑って追及をやめたところだが、杏奈は親切を遠慮のまま終わらせたくなかった。
終了後、杏奈は調理台の下で本を開く杜若を見つけた。
「犯人、見つけた」
杜若は鉛筆を握ったまま、耳まで赤くした。
一か月前の歓迎会で、彼は自作のクッキーを杏奈に勧めた。杏奈は一口食べてから胡桃に気づき、薬を飲んだ。軽い症状で済み、「もう平気」と笑ったため、杜若は謝る機会を逃したらしい。
「直接言うと、また気を遣わせると思って。せめて、選ぶ頁だけでも」
丸印は注意ではなく、言えなかった謝罪だった。
杏奈は本をめくった。唯一、木の実入りなのに囲まれていない頁がある。
「ここは?」
「それ、今日作り直しました。胡桃を米粉のクランブルに替えて」
差し出された小さなフィナンシェは、表面が香ばしく割れていた。宗像に成分表まで確認してもらったという。
杏奈は半分に割り、先に杜若へ渡した。
「毒見じゃないよ。謝罪は一人で食べないこと」
焼きたての端をかじると、バターの匂いがやわらかく広がった。
「丸じゃなくて、今度は花丸にしておくね」