腐った聖薬
王太子ケイラムの遠征隊が国境へ着く前に、聖薬はすべて腐った。
最初の一本を開けた治癒術師が、顔をしかめる。
「酸っぱい。これでは傷が膿む」
「最高級品だぞ!」
ケイラムは箱を蹴った。瓶は割れなかったが、中の液体は灰色に濁っていた。
荷物持ちのテオルを、出発前日に王都から追放していた。平民のくせに荷の積み方へ口を出し、殿下の天幕より薬箱を優先したのが罪だという。
新しい従者たちは見栄えよく、聖薬を馬車の上段へ積んだ。陽光を受ける場所だった。テオルが毎朝、濡らした羊毛を箱へ巻き、日陰側へ移し続けていたことを、誰も仕事とは思っていなかった。
「水をかければ戻るか?」
「腐敗した薬は戻りません」
治癒術師の声の向こうで、負傷兵のうめきが増えた。包帯だけで押さえた傷から血が滲み、兵たちは殿下の豪華な天幕を見上げた。その天幕を積むため、薬箱を日向へ移せと命じたのが誰だったか、全員が知っている。
遠征最初の小競り合い。まだ敵将の顔すら見ていない。
一方テオルは、北門診療所の地下で薬瓶を並べていた。壁に埋めた冷却石と湿度計を見比べ、箱ごとに布の厚さを変える。
テオルは輸送中の時刻と気温を一枚の札へ残していた。どの箱が何時間熱を受けたか分かるため、先に使う薬も迷わない。
診療所長マルタが一本を光へ透かした。
「王宮から届く物より状態がいい。輸送に三日かかったとは思えない」
「薬は高価でも、暑さには勝てませんから」
「うちでは君を荷物持ちとは呼ばない。医療輸送士だ。次便から判断も任せる」
奥の病室から、薬を受けた子どもの泣き声が止んだ。テオルは初めて、自分が守っていたのは瓶ではなく、その先の呼吸だったと実感した。
その言葉と同時に、診療所へ騎士が飛び込んだ。王太子の印章を掲げ、命令書を読み上げる。
「テオルを直ちに遠征隊へ復帰させよ。聖薬の管理を命ずる。拒否は不敬とみなす」
マルタが前へ出ようとしたが、テオルは静かに止めた。追放状の写しを取り出し、命令書の横へ置く。
「殿下にもお伝えください。国外追放の執行時刻をもって、王家との輸送契約は終了しています」