花のない島へ
緑熱を発症した者は、花のない島へ送られる。
草木の胞子を吸えば高熱が出て、やがて呼吸が止まる。海の北にある白礫島には土がなく、家も道もすべて石と金属で作られていた。そこでなら病は眠り、一生を送れる。
エウナの出航は、谷に杏が咲く前日に決まった。
恋人のソルドは種子庫の番人だった。
飢饉に備え、百種類の麦や豆や果樹の種を守る仕事である。彼の服にも髪にも、目に見えないほど細かな命が付着している。白礫島へ渡ることは許されない。
港へ向かう道で、エウナは厚い灰布の覆面をしていた。
ソルドは十歩離れて歩いた。
「もっと近くても平気よ」
「もし風が吹いたら」
「最後の日くらい、心配性を休んで」
「最後の日だから無理だ」
二人は春に結婚するはずだった。
新居の窓辺へ何を植えるかで喧嘩し、杏か薄荷か、まだ決めていなかった。
桟橋には同じ病の者たちが並んでいた。家族は縄の外から見送る。抱擁も握手も許されない。
ソルドは小さな箱を地面へ置き、棒でエウナの側へ押した。
中には、土で焼いた杏の花が一輪入っていた。
「本物じゃないから、持っていける」
「種子庫の番人が偽物の花を作るなんて」
「下手で悪かったな」
「すごく下手」
エウナは笑い、すぐ泣いた。
「私たち、別れたほうがいい」
ソルドは答えなかった。
「島から便りは年に一度しか出せない。会うこともない。あなたに、いつか帰る人を待つ暮らしをさせたくない」
「帰らないのか」
「帰れば死ぬ」
分かっていた言葉が、声になると二人の間へ落ちた。
「好きだ」
ソルドが言った。
「知ってる」
「別れても?」
「別れるから、言って」
出航の鐘が鳴った。
エウナは船へ乗り、欄干から焼き物の花を掲げた。ソルドは種の入っていない空の掌を上げた。
船が遠ざかると、谷から春の風が吹いた。
杏の花びらが港一面を白くした。ソルドは美しいと思い、同時に憎んだ。
白礫島には、生涯、本物の花は咲かない。
それでもエウナの窓辺には、歪んだ土の花が置かれた。
二人は恋人ではなくなった。
手紙には「元気です」とだけ書き、愛しているとは書かなかった。
けれど谷で杏が咲くたび、ソルドは一輪も摘まなかった。
花のない場所で生きる人へ届かない春を、自分だけのものにしないためだった。