赤い付箋の合計
神代弦史の机には、赤い付箋が増え続けていた。
一枚に一人、一か月分の未払い時間。給与計算代行会社の鷹栖英俊社長は、記録を十五分単位で切り捨て、持ち帰り作業を「趣味」と処理した。付箋の裏には、入退館時刻、送信メール、深夜の印刷履歴が書かれている。神代は感情ではなく、消せない数字だけを三年分積み上げた。
「数字を眺めるだけで給料が出るんだから、経理は楽だよな」
神代は訂正を求めるたび、そう言われた。赤い付箋は机だけでなく、退職した社員の手帳にも同じ番号で残されていた。監督署へ渡した一覧は、四十六人が互いに確認した共同の記録だった。
決算報告の日、鷹栖は取引銀行と大口顧客を会議室に集めた。利益率の高さを誇る資料には、人件費だけが不自然なほど小さく印刷されている。
「無駄を徹底的に削りました」
鷹栖が胸を張ると、神代は赤い付箋を貼った帳簿を机へ置いた。
「削ったのは無駄ではありません。四十六人分の賃金です」
鷹栖が帳簿を奪おうとしたとき、会議室の扉が開いた。労働基準監督署の職員と、社員たちの代理人が入ってくる。社員全員が同じ日に申告し、原本の勤怠データと、鷹栖が上書きを命じたメールを提出していた。
大口顧客の監査役が資料を閉じた。
「当社は給与業務を預けています。賃金記録を改ざんする会社には、一分も任せられません」
契約解除通知が置かれる。年間売上の六割が消えた。
鷹栖は銀行員へ向き直った。
「一時的な問題です。融資でつなげば――」
銀行員は赤い付箋の合計額を電卓に入れた。未払い賃金、付加金を求める訴訟、遅延損害、解約に伴う返金。数字は会社の預金を大きく超えた。
「融資ではなく、債権保全の手続きに移ります」
社員たちは机の引き出しから退職届を取り出した。神代だけが最後に残り、利益率の欄へ赤い付箋を一枚貼る。
そこには、たった四文字が書かれていた。
〈支払不能〉
銀行員が法人口座の凍結を告げた瞬間、鷹栖が削り続けた時間は、会社の残り時間をゼロにした。