赤い板には生肉を
王宮晩餐会まで、あと二時間だった。
「また客を腹痛にしたら、厨房は全員解雇だ」
料理長オルドの怒声に、転移者の直人だけが床を見た。原因は分かっていた。鶏を切った板で、そのまま果物まで切っている。けれど厨房には同じ木板が二十枚。誰も使い分けていなかった。
直人が使ったのは、色分けという一つの知識だけだった。
生肉用の板の縁を赤く塗り、火を通した料理と果物用は青く塗った。包丁の柄にも同じ色の布を巻く。
「子どもの遊びか?」
副料理長が笑った。
直人は返事をせず、赤い板を肉台へ、青い板を盛り付け台へ置いた。誰かが赤い包丁を青い台へ持ち込むたび、見習いたちでもすぐ気づいた。「色が違います」と声が飛び、道具が戻る。説明書を読めない者にも、赤と青なら一目で分かった。怒鳴り声で覚えさせるより、間違いを見つけるまでが十秒も早い。
一度、副料理長が鶏を切った赤い包丁で林檎へ手を伸ばした。十歳の皿洗いが袖をつかみ、青い包丁を差し出す。以前なら怒鳴られていた少女に、誰も反論できなかった。色は身分より早く、間違いを告げた。
百二十皿の冷製鶏、八十皿の果実盛り、四十皿の香草サラダ。いつもなら混乱で七、八枚の板が行方不明になる時間に、全ての皿が三十分早く完成した。
翌朝、直人は厨房の処罰を待っていた。前年の晩餐会では、夜明けまでに三十七人の貴族が腹痛を訴えたからだ。
侍従長が持ってきた診療札は、束ではなかった。一枚もない、空の盆だった。
「晩餐会の客、二百四十名。体調不良、ゼロ」
料理長オルドは、赤い板と青い板を見比べた。味付けは変えていない。食材の仕入れ先も同じ。違ったのは、肉と完成品が二度と同じ板で出会わなかったことだけだ。
そのとき王太子から追加注文が届いた。今夜の騎士団祝勝会、五百食。
副料理長が板を抱えようとすると、オルドが止めた。そして厨房の全員に聞こえる声で言う。
「指示は直人殿から受けろ。色を間違えた者は、私でも厨房から出す」
料理長章のついた青い前掛けが、直人の胸へ差し出された。