転んだ優等生

額賀郁生は、中学二年で九百八十点を持っていた。

朝の挨拶は明瞭、宿題は期限の前日に提出、廊下では右側を歩く。端末は毎週、彼を「将来有望」と褒めた。九百五十点を卒業まで維持すれば、家計では払えない特進校の学費が免除される。

体育祭の代表リレーでも、郁生は最終走者に選ばれた。速さだけでなく、信用上位者を目立つ位置に置くのが学校の方針だった。

同じ組の少女は、百九十点しかなかった。遅刻が多く、制服も汚れていた。皆は彼女を「将来失敗」と呼んだ。郁生も話しかけなかった。接触履歴は相互評価に影響するからだ。

体育祭の朝、少女が校門裏で牛乳を飲んでいるのを見た。売店の商品で、会計記録がない。

「盗んだの?」

少女は首を振った。

「弟に持って帰る。昨日から何も食べてないから」

通報すれば五点加算。黙認すれば共犯として減点。郁生の端末が選択を迫った。

彼は自分の昼食代を売店端末へ送り、「僕が頼んだ」と入力した。虚偽申告で三十点、低信用者への不適切援助で二十点。奨学金の基準を割った。

母は観客席で端末を見つめ、声も出なかった。

リレーが始まった。郁生にバトンが渡ったとき、他組より少し遅れていた。それでも追いつけた。毎朝、点を守るために走ってきたのだ。

最後の直線で、前を走る生徒が転んだ。規則では各自が走り切る。救護AIも待機している。助ければ順位も点も失う。

郁生は足を止めた。

転んだ生徒を起こすと、後ろの走者も止まった。さらに一人、また一人。結局、八人が肩を貸し合って同時にゴールした。順位判定AIは処理不能を繰り返した。

郁生の点は八百台まで落ちた。特進校の道は消えた。

帰宅すると、母は食卓で泣いていた。怒られると思った郁生に、母は古い陸上靴を差し出した。

「お母さんも昔、ゴールの前で友達を置いてきたの」

郁生は初めて、母の点では見えなかった傷を知った。

翌朝、端末は彼を「要観察」と表示した。郁生はそれを隠さず制服の袖をまくり、昨日助けた少女と並んで学校へ歩いた。