迎えの軽自動車
依子が改札を出る前から、スマートフォンは三度震えていた。
父からだった。
四度目で出ると、第一声は「どこにいる」だった。おかえりでも、久しぶりでもない。
「まだ駅」
「南口に車を回してる。早く来い」
ガラス越しに、父の白い軽自動車が見えた。ハザードを点け、送迎禁止の表示の下に止まっている。助手席には、子どものころから使っていた灰色の座布団まで置かれていた。
「バスで行くよ」
「何を言ってる。荷物もあるだろ」
「小さい鞄一つ」
「よっちゃんは昔から方向音痴なんだから。余計なことしないで、言うとおりにしなさい」
二十八歳になっても、その呼び名の後には必ず命令が続いた。
駅前のバスは一時間に一本。発車案内には、あと四分と出ている。父の車なら十五分、バスなら三十五分だった。
「迎えに来てくれたのはありがとう。でも乗らない」
電話の向こうでウインカーの音が規則正しく鳴った。
「帰ってきた日に親の顔を潰すのか」
「帰ることと、運ばれることは別だよ」
「面倒くさい言い方をするな」
依子は一度目を閉じた。ここで助手席に座れば、家までの十五分で仕事のことも、住んでいる町のことも、いつ結婚するのかも、答えるまで降ろしてもらえない気がした。
「着く時間だけ送る。話したいことは、夕飯のときに私が選ぶ」
父は何か言いかけ、やめた。代わりに「バス停は北口だぞ」と言った。
「知ってる」
「本当に?」
「うん。間違えたら、自分で戻る」
通話を切ると、白い車のハザードが消えた。父はすぐには動かなかった。
依子は北口へ向かった。バスの整理券を取り、いちばん後ろの席に座る。発車した窓の外で、父の車が反対方向へゆっくり曲がった。
バスは昔通った中学校の前を回り、父の車では見えなかった川沿いを走った。途中で父から〈夕飯は七時。遅れるなら言え〉と短いメッセージが届く。依子は〈七時に着く〉とだけ返した。謝罪も説得も付けなかった。自分で選んだ道でも、同じ食卓には着ける。
三十五分ぶんの距離が、今日はちょうどよかった。