返笛

以下は、海洋測量技師・砥上皓平のスマートフォンに残っていた音声メモの自動文字起こしである。

皓平は二十五歳で、海難事故の音響解析も担当していた。幼いころ漁師の祖父から、霧の中では口笛を一回吹き、船同士の位置を知らせると教わった。祖父の船は二十年前、潮木浦沖で消息を絶っている。祭りの名簿には、その船名だけが毎年『未帰還』として追記されていた。

【二十三時四十八分/潮木浦・返潮祭】

「潮は引いているのに、足元まで海藻の匂いが上がってくる。祭壇の蝋燭は沖へ向かって倒れ、濡れていない砂に船底を引きずった跡がある。防波堤の先に祭壇。参加者は浜側を向いて座っている。資料では、沖で沈んだ船を呼び戻す祭り。保存会から渡された注意は一つだけ」

《沖から法螺貝が聞こえても、口笛を返してはいけない》

「理由は聞いても教えてくれなかった。今、沖から一回。風は陸から海。なのに音は耳の後ろから聞こえる」

【二十三時五十九分】

「二回目。参加者が全員、口を手で塞いだ。俺も黙っている。……三回目。かなり近い」

ここで十二秒の無音があり、短い口笛が一度だけ記録されている。

「やった。すみません、反射で。学生のころ船で使ってた合図と同じだったから」

続いて、海面を叩く音がする。測量船の係留ロープが張るときの音に似ている。その後、皓平の声は小さくなる。

「沖に灯り。船が一隻、こっちを向いてる。船名が俺の名字だ。甲板に人がいる。全員、俺の顔をして――」

記録はそこで終わる。

皓平は翌朝、通常どおり宿を出て帰宅した。祭りのことは酒のせいにし、音声メモも削除した。だが三日後、仕事中に不在着信が入った。発信元は自分の携帯番号だった。

留守番電話には、波音と法螺貝、それから皓平自身の声が入っていた。

「返笛を受領しました。砥上皓平、一名を沖へ戻します」

悪戯だと思い、位置情報を確認した。スマホは事務所の机の上にある。それなのに地図アプリの青い点は、潮木浦から二・三キロ沖に浮かんでいた。

画面下のいつもの案内表示だけが、ゆっくり更新された。

《自宅まで:徒歩では帰れません》