逆さ結びの風呂敷
ブライダルサロンの休憩室で、片瀬葉月の弁当が消えた。
紺の風呂敷に包んだ二段箱。その代わり、同じ大きさの包みが棚に残されている。風呂敷まで同じ紺色なのに、持ち上げると柚子の香りがした。
サロンでは、顧客から高価な贈り物を受け取らない決まりがある。葉月は何度もそれを説明してきたし、神谷にも昨日伝えたばかりだった。だから包みを開ける前から、単なる取り違えではない気がした。
午前中に休憩室へ入ったのは、花嫁の神谷、縫製担当の御厨、撮影の滝本だった。
御厨は衣装の糸を取りに来ただけ。
滝本は予備バッテリーを充電しただけ。
神谷は最終試着の途中で、母親と電話をするため五分ほど一人になっている。
葉月は包みをほどかず、結び目を見た。自分は右側の端を上にして結ぶ。残されたものは逆だ。風呂敷からは柚子の香り。そして名札ほどの小さなカードの縁が、御厨の使う波形の裁ちばさみで切られていた。
三つの手掛かりは、すべて花嫁控室へ続いていた。
神谷は鏡の前で、葉月の弁当を膝に載せていた。まだ開けてはいない。
「すみません。交換しました」
残された包みの中には、柚子を混ぜた稲荷ずしと、金糸で巻いた箸袋が入っていた。カードには、たった一行。
――昨日、母を止めてくれてありがとうございました。
前日の打ち合わせで、神谷の母は式の演出を次々に決めようとした。葉月は規則を盾にせず、「花嫁が息をつける順番で考えましょう」とだけ言った。そのあと母娘は、初めて二人で話せたらしい。ドレスの裾より先に、胸につかえていた言葉を整えられたのだと神谷は言った。
「お礼の品は受け取れないって、片瀬さん言うから」
「だから弁当を盗んだんですか」
「忘れ物同士なら、返すだけかなって」
神谷は悪びれずに笑ったが、目の下には昨日までなかった安堵があった。
葉月は自分の弁当を受け取り、代わりの包みを半分だけ開けた。
「規則では、お客さまとの昼食は禁止されていません」
「本当ですか」
「今、作りました」
控室の小机に二つの弁当を並べた。神谷が稲荷ずしを一つ差し出す。
葉月は柚子の香りごと頬張った。
「では、これは返却ではなく、半分こです」