通報者は父でした

 十九歳の夜、私は雨の交差点で自転車の人と接触し、そのまま逃げた。

 怖かった。

 免許を失うことも、仕事を辞めることも、家族に知られることも。

 家へ戻ると、父は折れたドアミラーを見た。

「何があった」

「壁にぶつけた」

 父は答えず、警察へ電話した。

 通報者は父だった。

 自転車の人は手首を骨折していた。命に別状はなかったが、私は事故より、逃げたことを問われた。

「どうして庇わなかった」

 留置中の面会で、私は父へ言った。

「家族だろ」

「家族だから、逃げたままにできなかった」

「俺の人生を壊した」

「壊したのは、ぶつかったあとに戻らなかったお前だ」

 父の言葉を、私は何年も憎んだ。

 裁判の日、父は情状を求める手紙を書かなかった。

 代わりに、被害者へ謝罪し、治療費の支払い計画を一緒に立て、自分も監督すると約束した。ただし「息子は本当は優しい」とは一度も言わなかった。

「少しくらい良く書けよ」

「優しいかどうかは、これからの行動で決まる」

 判決後、私は職を失い、清掃会社で働き始めた。毎月、賠償金を振り込んだ。父は口を出さず、振込日だけ確認した。

 一年後、被害者から短い手紙が届いた。

〈事故より、置いていかれたことが怖かった。今後、同じことをしないでください〉

 父は読まなかった。

「お前宛てだ」

 私は何度も読み返した。

 三年後、父が病院へ運ばれた。階段で転び、通行人が救急車を呼んでくれたという。

 駆けつけると、父はベッドで笑った。

「今度は置いていかれなかった」

「笑えない」

「そうだな」

 帰り道、父は私の車の助手席へ乗った。

「運転、怖くない?」

「怖い」

「じゃあ、なぜ乗る」

「怖いものから逃げずに運転してるか、見ておく」

 私は腹を立てながらも、制限速度を守った。

 父を許したわけではないと思っていた。

 だが交差点で自転車を見つけ、十分に距離を取ったとき、助手席の父が何も言わなかったことに、少し救われた。

 家族は、罪を隠してくれる人ではなかった。

 逃げた自分を通報し、そのあとも逃げずに隣へ乗り続ける人だった。