運行日誌_雨の木曜日
運行日誌――雨の木曜日
市内循環線・運転士 東雲坂恒路
六月十二日 木曜日
天候、強雨。
十五時四十二分、楠橋停留所より高齢男性一名乗車。歩行不安定。胸に紙製の白い花を抱えていた。
車内満席。
優先席付近にいた妊娠中と思われる女性が、ただちに立ち上がった。
「こちらへどうぞ」
男性は遠慮し、「あなたのほうが大変でしょう」と返答。
女性は腹部を撫でて笑った。
「この子と二人で立つので、一人あたり半分です」
男性、着席。
十五時四十七分、赤信号停車中、二人の会話が聞こえた。
男性は総合病院へ向かっているとのこと。妻が入院中で、前夜に病院から「今日、会えるうちに」と連絡を受けたという。
紙の花は、妻が本物の花粉を苦手としているため、毎年の結婚記念日に折って渡しているもの。
女性は次の停留所で降車予定だったが、男性が降車口まで移動できるか心配し、病院前まで同乗。
そのため本人の予定に遅れが生じた可能性あり。
運転士よりタクシー利用を提案したが、「今日の健診は予約に余裕があります」と辞退。
十五時五十八分、総合病院前。
女性が男性の傘を開き、入口まで付き添った。
運行、二分遅延。
苦情なし。
六月十九日 木曜日
営業所宛てに封書一通。
差出人は、先日の高齢男性の娘。
〈父は母が目を開けている間に着きました。紙の花を手へ載せると、母は指を少しだけ動かしました。翌朝、亡くなりました。
席を譲ってくださった方のお名前が分かりません。せめて、あの日のバスへお礼を伝えてください。父は「座れたから間に合った」と申しております〉
同封された白い紙の花を、乗務員休憩室へ保管。
六月二十六日 木曜日
十五時四十二分、同じ停留所から例の女性が乗車。腹部は以前より目立つ。
本人へ封書の内容を伝え、紙の花を渡した。
女性は長く黙ったあと、花を優先席脇の案内板へ結んだ。
「私が持つより、ここにあったほうがいいです。次に立つ人の背中を押すから」
本日の運行、定刻。
ただし運転士所見として記す。
時刻表どおりに着くことだけが、「間に合う」ではない。
二分の遅れで、最後の一度に間に合う人もいる。