金継ぎの向こう側
陶芸工房の材料庫から、合鍵が一本なくなった。
御影環奈は、朝一番の教室を始める前に引き出しを三度確かめた。昨夜、工房に残っていたのは弟子の柊木乙葉、隣の窯を借りに来た陶芸家の真砂、梱包材を届けた笠松だけ。材料庫には高価な釉薬もあるが、在庫は減っていなかった。
代わりに、妙な痕跡が残っていた。鍵を掛ける木釘の下に、金色の粉が一粒。窯焚き日誌には、閉店後の二十一時十二分に乙葉の署名。そして作業台の隅に、金継ぎ用の薄い和紙が一枚。
環奈は材料庫の奥を見た。祖母の形見だった白い湯呑みの破片を入れた箱が消えている。祖母は、環奈が初めて焼いた歪んだ茶碗も「口をつければ同じ」と使ってくれた人だった。だから割れた湯呑みを捨てられず、かといって直す勇気もなく、箱ごと奥へ押し込んでいた。
その瞬間、乙葉が紙包みを抱えて入ってきた。
「まだ、開けないでください」
声が震えていた。
三か月前、乙葉は掃除中に湯呑みを落とした。環奈は「古いものだから」と笑い、割れた理由を訊かなかった。けれど乙葉は、その笑顔がかえって怖くて、謝れないままだったという。材料庫の合鍵を持ち出し、夜中に破片を取り出して、真砂に金継ぎを教わっていたのだ。笠松が届けたのも、そのための漆だった。
「勝手に直したら、もっと怒られると思ったんです。でも、捨てられるのも嫌で」
紙包みの中には、金の筋をまとった湯呑みがあった。割れる前より少し不格好で、以前よりずっと目を引いた。
環奈は合鍵を受け取り、材料庫の木釘へ戻した。
「怒ってない。ただ、次は割った日に言って。私も、悲しいって言うから」
平気なふりをしたせいで、乙葉は三か月も一人で謝り続けていたのだと、環奈はようやく気づいた。
「次も割る前提ですか」
乙葉が泣き笑いをした。環奈もつられて笑い、金色の粉が残る作業台を二人でゆっくり拭いた。
昼休み、二人は新しい湯呑みで番茶を分けた。金の線に唇が触れると、そこだけわずかに温かかった。
環奈は一口飲んで言った。
「ちゃんと、おかえり」