鉄輪の軍配
砂嵐の夜、ザーヒルは軍配の縁を布で磨いていた。
黒檀の板に、薄い鉄輪をはめた古い軍配だった。父が王から賜り、父が処刑された日にも返されなかった。鉄輪には、月を細く切り取るだけの光が残っている。
「荷車は十二。兵は四百。追手は少なく見ても千」
石工頭のマフディが言った。
「数を言うな。減りはしない」
ザーヒルたちは峡谷の砦を捨て、王都へ退く途中だった。前には塩の谷、後ろには騎将バルクの軍勢。荷車の車輪は砂に沈み、夜明けまで持たない。
谷の東壁には雲母が走っていた。昼ならただの白い筋だが、月光を受ければ遠くまで光る。
ザーヒルは鉄輪の軍配を雲母へ向けた。細い反射が谷の上へ走り、別の場所でまた返った。
「荷車の車輪に見えるか」
マフディは目を細めた。
「動けば」
「なら動かせ」
石工たちは軍配と磨いた盾片を縄で繋ぎ、崖の上へ並べた。ザーヒルが軍配を傾けると、十二の光が順に揺れる。谷の稜線を、車列が西へ進んでいるように見えた。
実際の荷車は東の干上がった水路へ入る。敵が西の光を追えば、半刻稼げる。ただし誰かが軍配を振り続けなければならない。
「王都へ戻れば、父君の汚名を雪げます」
マフディが縄を握ろうとした。
ザーヒルは手を払った。
「死者の名は砂より軽い。今運ぶのは生きた兵だ」
「では、あなたも荷車へ」
「光は、持ち主の癖まで真似ねばならん。バルクは父の軍配を知っている」
遠くで騎馬の鈴が鳴った。追手が谷口へ入ったのだ。
ザーヒルは一度だけ大きく軍配を振った。崖上の十二の光が一斉に西へ流れた。敵の角笛がそちらへ向きを変える。
マフディは歯を食いしばり、水路へ降りた。最後の荷車が暗闇に沈むまで、ザーヒルは一定の速さで腕を動かした。肩に矢が刺さっても、光の歩幅を変えなかった。
やがて東の地平に、王都の塔が黒く浮いた。塔頂で一つの灯が回る。退却隊を認めた合図だった。
ザーヒルは血に濡れた軍配を高く掲げた。
王都の砂門で、鉄鎖を外す命令が下った。