門番は疫病を通さない

西門番ベクトは、剣を抜いたことがなかった。

入市証を確かめ、荷車の底を覗き、日没に門を閉める。それだけの職業だ。討伐帰りの冒険者は彼の槍を物干し竿と呼び、宮廷騎士は「敵が来れば最初に死ぬ札係」と笑った。

技能も、門番以外には使い道がない。

【職業技能《通行拒否》:自分が守る門を通過しようとする対象一つへ、入場を許可するか拒否する。】

その日、敵軍は一兵も現れなかった。

代わりに、東の丘から黒い霧が降りてきた。触れた鳥は羽ばたきながら腐り、草は一呼吸で灰になる。敵国が放った《千日疫》だった。

城門を閉めても霧は壁を越え、窓や井戸から入り込む。治癒師は「病は軍ではない。門で止められるものか」と避難した。王は貴族区だけを結界で包み、外街の三万人を切り捨てた。

ベクトは西門の詰所へ戻った。

壁には、門番就任の日に渡された古い権限証がある。

《王都の境界を守る者を門番とする》

彼が守る門とは、木と鉄でできた扉だけではない。王都へ入るものすべてが越える境界、その全周が門だった。

ベクトは入市台帳を開き、迫る霧の名を書いた。

申請者――千日疫。

目的――住民の死滅。

書類不備はない。だからこそ、判断は一つだった。

「王都への入場を拒否する」

門印を押した瞬間、街の上に透明な輪郭が立ち上がった。壁を越えていた黒い霧が、見えない扉へ衝突する。煙は屋根一枚ぶんも進めず、王都の外周に沿って押し固められた。

やがて風向きが変わり、疫病は送り出した敵陣へ流れていく。敵の将軍が慌てて解除命令を出し、黒雲は消えた。

外街では、咳一つ聞こえない。

結界から出てきた王が「よく貴族区を守った」と言うと、ベクトは門を閉じたまま答えた。

「本日の王都入場証をお持ちですか?」

外街の住民は、毎朝素通りしていた詰所の前へ列を作った。差し入れのパン、温かい茶、子どもが描いた門の絵が机に積まれる。ベクトは一つずつ受領印を押し、最後に王の申請書だけを書類不備で差し戻した。

【職業《西門番》が上位職《万境審門官》へ書き換わりました。】