雨の日の送迎

雨の日は、逃げる客を乗せることがある。

駅裏で手を挙げた女は、濡れた髪を頬に貼りつけ、六歳ほどの子どもを抱えていた。子どもの左足には靴がなく、女の傘は閉じたままなのに、布だけが妙に乾いていた。

「早く出してください」

女は駅前の防犯カメラが映らない裏道を指し、そこから大通りへ出るよう命じた。逃げ慣れているのだと思った。料金は現金で払い、領収書はいらないとも言った。

後方から男が走ってきた。片手に銀色の筒を握っている。女は悲鳴を上げた。

「あの人、夫です。殴られました。お願い、逃がして」

私はドアを閉め、アクセルを踏んだ。男は車体を叩き、何か叫んだ。銀色の筒が雨の中で光る。凶器に見えた。

女は行き先を言わなかった。ただ「高速へ」と繰り返した。子どもは泣かず、後部座席で私の顔を見ていた。女が「大丈夫、ママがいる」と言うたび、子どもの視線は女ではなく、ドアの取っ手へ落ちた。私は恐怖で声が出ないのだと思った。

「チャイルドロック、切れますか」

「走行中は危険です」

「追いつかれたら、私たち殺される」

バックミラーに、男の車が映った。女は子どもの肩を掴み、窓より低く押し下げた。守っているのだと思った。

料金所の手前で渋滞した。男の車が隣の列へ並ぶ。男は窓を開け、銀色の筒を掲げた。

「吸入器だ! その子は発作がある!」

女が私のシートを蹴った。

「聞かないで!」

子どもの呼吸が速くなっていた。私は非常帯へ車を寄せようとしたが、女はバッグから小さな刃物を出し、首筋に当てた。

「まっすぐ」

そのとき初めて、子どもが声を出した。

「運転手さん」

かすれた声だった。

「その人、ぼくの名前を知らない」

女の指が止まる。子どもは後ろを振り返り、隣車線の男へ手を伸ばした。

「パパ、くすり」

警察車両が前方を塞いだ。男が落とした片方の靴には、保育園の名札が縫いつけてあった。女の乾いた傘は、駅前の店から子どもを連れ出すとき、顔を隠すためだけに使われたものだった。

私は被害者を逃がしたのではない。

誘拐犯を、追ってくる父親から送迎していた。