雨漏りの浴場に屋根を
老騎士ガルドが退役金代わりに押しつけられたのは、山裾の廃温泉宿だった。
湯だけは今も湧いている。だが浴場の屋根には大穴が開き、湯船には落ち葉が浮いていた。空には夕立の雲まで集まっている。
「初日から全部直そうとするのは、若造の戦い方だ」
ガルドは家財を運び込まず、屋根の穴だけを見ることにした。
宿の裏から残った杉板を拾い、腐った部分を切り落とす。
騎士団では、雨具も食糧も後回しにして進軍せよという命令に何度も従った。そのたび若い兵が熱を出した。今さら国を恨む気はない。ただ、自分の屋根くらいは雨が来る前に直す。それが今日、誰も死なせずに勝てる唯一の戦だった。
板を腰縄で束ね、梯子を一段ずつ上る。曲がった釘は石の上で叩いて伸ばした。かつて竜の爪を受け止めた大盾は、今や板を屋根へ押し上げる台になった。
片脚の古傷が痛んだが、剣を振るうよりずっとましだ。誰かの命令を待つ必要も、無茶な突撃を止める必要もない。
最後の板を重ね、釘を打つ。
こん、こん、こん。
三打目と同時に雨が来た。打ち込んだ釘の周りから杉の樹脂がにじみ、雨に濡れて甘く香った。壊す音ではなく、守るための槌音が耳に残った。大粒の雨が屋根を叩き、浴場じゅうに激しい音が広がる。けれど修理した場所からは、一滴も落ちなかった。雨は板の上を流れ、軒先から銀の幕になって落ちる。
ガルドは湯船の落ち葉を腕で寄せ、肩まで沈んだ。湯気の向こうで雨が跳ね、硫黄と杉の香りが混じる。冷えていた古傷が、じんわりとほどけた。
浴場の隅では、小鍋の兎肉シチューが煮えている。湯上がりに火へ戻すと、脂がぱちりとはぜ、根菜の甘い匂いが立った。
その頃、宿の玄関では王国騎士団の副官が濡れながら待っていた。
「将軍職を空けてあります! 国境が不安定なのです!」
ガルドは浴場から声を返す。
「屋根の下に入って待て。飯は食わせる」
「では、ご帰還を――」
「その話は、シチューが冷めてからだ」
彼は厚い肉を匙ですくった。雨音は大きいのに、今夜の家の中には、もう何ひとつ降ってこなかった。