雨粒だけが見ていた

壊れた映像は、灰色の四角ばかりだった。

此花志乃技官は、最後に残ったサムネイルを拡大した。豪雨の夜、菱沼沙和のアパートへ駆けつけた砥上巡査のボディーカメラ。署の説明では、玄関前で浸水し、室内へ入る前に記録不能になった。翌朝、沙和は階段下で意識不明の状態で見つかった。夫の暴力から逃げて交番へ電話した直後だった。

「画像として使える品質じゃない」

角倉警務課長が、鑑定書の下書きを机へ戻した。

「水損による復旧不能。それで確定しろ」

サムネイルには、濡れたレンズへ大きな雨粒が三つ張りついている。中央は白く曇り、何も見えない。だが右下の一滴だけが、魚眼レンズのように室内を逆さに映していた。

志乃は輪郭を補正した。廊下の蛍光灯。壁の時計。床に膝をつく沙和。そして、その髪をつかんでいる紺色の袖。

砥上は報告書に、到着時には夫婦が落ち着いており、沙和自身が「家に残る」と話したと書いている。だが時計は通報から二十二分後を示していた。カメラは室内まで動いていたのだ。

「水滴の反射だ。人に見えるだけだ」

「元画像の自動縮小データです。機器が映像を保存した証拠でもあります」

「本体は初期化されている。水損の交換処理で普通に起きる」

「交換申請は翌日の午後です。初期化時刻は午前一時四分。砥上巡査の帰署直後です」

角倉の目が細くなった。

「砥上は署長の娘婿だ。曖昧な一滴で、署全体を敵に回す気か」

志乃はもう一度、雨粒の中の小さな沙和を見た。逆さまの顔はつぶれていた。それでも、片手を床へつき、もう片方を誰かへ伸ばしているのが分かった。

鑑定書の「判別不能」を削る。代わりに、縮小前の画素配置、時計の位置、初期化履歴を三ページにわたって記した。最後の所見欄には、人物の断定を避けながらも、「室内進入後の記録が存在した可能性は極めて高い」と書いた。

角倉が書類を奪おうとしたとき、志乃はサムネイルを保存した光ディスクを、監察官宛ての封筒へ滑り込ませた。

封をした雨粒は、もう拭き取れなかった。