青いネクタイの結び目
礼拝堂の扉が開くまで九分。朽木昂平は、新郎の首元に見覚えのある青を見つけた。
控室の鏡の前で、新郎は結び目を何度も失敗していた。共通の友人に呼ばれた昂平が手を貸そうとして、細い銀糸のほつれに気づく。依田絢音が、昂平の初めての就職面接に結んでくれたネクタイと同じ傷だった。
別れたあと、クローゼットから消えていた一本。絢音が持っていったのだと思っていた。面接の朝、何度結んでも曲がる輪を彼女が笑い、最後に指先で中央を押した。その癖まで、自分だけに残された記憶だと思っていた。
「それ、どこで?」
「絢音から借りました。お父さんの形見だそうです」
昂平の指が止まった。
「俺のじゃないのか」
背後でドレスの衣擦れがした。絢音が立っていた。
「最初から、父のだよ」
「そんな話、聞いてない」
「面接の日、緊張で手が震えてたから貸した。父なら背中を押してくれる気がして」
内側をめくると、名字の頭文字が小さく刺繍されていた。昂平のものではない。彼はあの一本を、自分への愛情の証拠だと勝手に決め、別れたあとも「彼女は思い出を持ち去った」と恨んでいた。
「じゃあ、俺の青いネクタイは」
「クリーニング店。受取票を何度も送ったけど、住所が変わって戻ってきた」
絢音は白い封筒を差し出した。中には期限切れの受取票と、店が保管品を処分した通知。通知の日付は二年前だった。
真実は、ネクタイより先に捨てられていた。
新郎が気まずそうに外そうとすると、絢音が止めた。
「今日は父にもいてほしいの」
昂平は鏡越しに二人を見た。自分がこの青に結びつけていた物語は、最初から自分のものではなかった。けれど、面接の朝に絢音が結んだ手の温度だけは嘘ではない。
「貸してください」
昂平は新郎の襟を整え、結び目を一度ほどいた。左右を揃え、最もきれいな形に締め直す。
呼び出しがかかると、彼は期限切れの受取票を封筒へ戻した。控室の紙ごみ箱へ落とし、青い結び目を残して先に席へ向かった。