静かな砂糖

母と娘は、会えば必ず喧嘩した。

進路、服装、帰宅時刻。

母は心配を命令の形でしか言えず、娘は反抗することでしか自分を守れなかった。

薬局で「静かな砂糖」という小袋をもらった。

茶に入れて相手へ飲ませると、直前の喧嘩を忘れさせる。

ただし同じ量だけ、その人の中から、二人で笑った記憶も消える。

最初に使ったのは、娘が家を出ると叫んだ夜だった。

茶を飲んだ娘は、

「何の話してたっけ」

と首を傾げた。

翌朝、普通に学校へ行った。

母は救われた。

次の喧嘩でも使った。

三度、四度。

家は静かになった。

ところが娘は、昔の旅行写真を見ても笑わなくなった。

「ここ、行った?」

母の誕生日に作った失敗ケーキも、雨の中で二人が転んだことも覚えていない。

喧嘩だけでなく、その周りにあった時間まで薄くなっていた。

それでも母は使い続けた。

嫌われるより、穏やかな他人になる方がましだと思った。

卒業の日、娘が言った。

「お母さんって、私のこと詳しいね」

母は息をのんだ。

娘の中で、母は世話をする人には残っていても、一緒に笑った人ではなくなっていた。

その夜、娘が遠い町の学校へ行きたいと告げた。

母は反対し、また口論になった。

娘は泣き、

「どうせ私の気持ち、消したいんでしょう」

と言った。

母の手には、最後の砂糖があった。

袋を破りかけ、止めた。

「消してた」

母は全部話した。

娘は信じず、笑い、やがて写真を見比べて顔色を変えた。

「私の記憶、返して」

「返せない」

娘は母の茶碗を床へ落とした。

その喧嘩だけは、砂糖で消さなかった。

娘は予定どおり家を出た。

半年、連絡がなかった。

母は毎日、謝罪を書いては送らずに捨てた。

冬、娘から一枚の写真が届いた。

二人で昔食べた店と同じ、焦げた焼き菓子。

裏に、

「味は覚えてない。でも、嫌いじゃなかった気がする」

とある。

母は返事を急がなかった。

「今度、一緒に作り直せる?」

とだけ書いた。

失った笑いは戻らない。

だから二人は、新しい失敗を一つずつ増やした。

焦がした鍋。

乗り過ごした電車。

言いすぎた夜。

喧嘩も残した。

仲直りまで含めて覚えておくために。

静かな砂糖より騒がしい食卓の方が、二人が一緒にいた証拠を、ずっと多く残した。