面会者はこの身体ではありません
椎葉兼親は毎朝、鏡の前で貸出身体の髭を剃る。本体は事故で胸から下が動かないが、この身体なら会社へ行ける。指紋も血液も借り物なので、行政手続きでは胸元の利用者証を見せる。それで困ったことはなかった。
婚約者の由灯が救急搬送されるまでは。
病院の集中治療室前で、兼親は面会申請を押した。
《患者との血縁・婚姻関係を確認できません》
「婚約者です。緊急連絡先にも登録されています」
端末は彼の胸元ではなく、身体のDNAを読み取っていた。
医療面会では、入室者の身体的血縁だけを親族とみなす。意識の利用者情報は偽装できるため参照しない。それが唯一の規則だった。
この身体の戸籍上の持ち主は、レンタル会社だった。
「本人の意識は俺です」
「現在の身体では、あなたは会社資産です」
由灯は手術前に一度だけ目を覚まし、兼親を呼んだと看護師が教えた。だが非親族へ患者情報を伝えたとして、看護師の端末に警告が出る。
兼親は本体へ戻る申請をした。保管施設から病院まで救急搬送すれば、本人の指紋で面会できる。
《身体切替予定時刻:明日午前九時》
「手術は今夜です」
《優先切替には二十万円が必要です》
口座には十七万四千円。結婚式の予約金を払ったばかりだった。
彼は式場へキャンセル申請を送った。返金判定に四十八時間。
集中治療室の向こうで警報が鳴る。医師が走り込む。兼親も扉へ近づくと、床の線が赤く光った。
《非親族身体の接近を検出》
警備員に押し戻される。
由灯の端末から一通だけ通知が届いた。意識があるうちに送信予約したらしい。
『顔が違っても、来てくれたら分かるから』
兼親は透明扉へ掌を当てた。内側のセンサーは、知らない男の指紋として記録する。
一時間後、医師が出てきた。
「ご家族は?」
誰もいなかった。由灯は天涯孤独だった。
兼親は胸元の利用者証を突き出した。
「俺です」
医師の端末が再判定する。
《該当する関係者なし》
死亡確認への立会い欄は空白のまま閉じた。
翌朝、本体へ戻った兼親の指には、由灯が選んだ指輪がはまらなかった。事故でむくみ、関節が曲がっていた。
病院は今度こそ彼を本人と認めた。
ただし、面会できる患者はもういなかった。