頁風が嵐を止める
「紙を一枚めくるほどの風? 窓を開けたほうが早い」
海軍魔術隊の選抜で、セルディは無能と笑われた。
【魔法:《頁風》――視界内の手のひらほどの場所へ、一呼吸だけ微風を起こす】
帆は動かず、蝋燭さえ消せない。セルディは港の航海日誌係へ追いやられた。
無風の日、彼は頁の角だけをそっと持ち上げ、風向きの記録と見比べた。弱すぎる風ほど、周囲の大風に混じらず、その場所だけを乱せると知った。
三日後、黒い大嵐が湾を塞いだ。
敵国の嵐術師が、沖の祭壇から風を巻き上げたのだ。軍船は港を出る前に横倒しとなり、防波堤へ波が乗り越える。海軍卿マレクサが風斬りの大術を放っても、嵐はそれを吸い込み、さらに太くなった。
祭壇の中央には、硝子筒に守られた一本の香が立っていた。
嵐術の仕組みは航海日誌に記されていた。周囲でどれほど風が荒れても、中心の煙が真上へ昇る「完全な無風」である限り、外側の風輪は崩れない。だから術師は筒へ何重もの結界を張り、外からの風魔法を一切通さなかった。
「なら、結界の内側で風を作ればいい」
セルディは見張り塔から硝子筒を覗いた。距離は遠い。それでも掌ほどの内部は、望遠鏡を通せばはっきり見える。
マレクサが止めるより先に、《頁風》。
風は港から祭壇へ飛ばなかった。指定した筒の中で、ほんの一呼吸だけ生まれた。
香の煙が、紙をめくる程度に傾く。
それだけで完全な無風ではなくなった。
黒雲の輪が一か所からほどけ、嵐は巨大な布を解くように崩れていく。波が低くなり、倒れていた帆柱が軋みながら起き上がった。祭壇では嵐術師が煙を戻そうとしたが、一度切れた風輪は二度とつながらない。
マレクサの旗艦が静まった海へ出て、敵の祭壇を一射で砕いた。
選抜官が「風と呼べぬ弱さだ」と言う。
海軍卿は濡れた航海日誌をその男へ投げ返した。
「強い風ほど止められると思い、強い風ばかりぶつけた」
マレクサは提督旗の留め針をセルディへ渡す。
「嵐の中心に必要だったのは、頁一枚ぶんの反逆だ。次の海では、おまえが無風を疑え」