飛ばなかった紙ひこうき
久世深雪のスマートフォンには、送られない文章が十三通あった。
宛先は、大学時代からの友人。半年前、深雪は約束を当日に断った。急な仕事だったのは本当だが、その後の謝罪に返事がなく、追いかける勇気もなくなった。「忙しかった」「悪気はなかった」と説明を書き足すほど、言い訳に見えた。最後には何も送れず、友人の誕生日まで過ぎた。下書きの日付だけが更新され、言葉は増えるほど相手から遠ざかっていった。
平日の午後、健康診断の再検査で病院へ行った。待合室で結果を考えないよう、また未送信の文章を開いていると、隣の男の子が診療案内を一枚抜き、紙ひこうきを折り始めた。
「それ、使う紙だよ」
深雪が注意すると、男の子は裏面を見せた。古い案内で、受付の人にもらったのだという。名は圭吾、八歳。母親が検査室から戻るのを待っていた。
圭吾は翼へ大きく「おなかすいた」と書いた。飛ばそうとして看護師に止められ、膝の上へ戻す。
「飛ばさないなら、書かなくても同じじゃない?」
深雪が言うと、圭吾は翼を指で弾いた。
「書いたら、ぼくが忘れない。飛ぶのはあと」
それから、案内の切れ端を深雪へ渡した。
「おねえさんも、一番短いやつ書いて。長いと重くて飛ばない」
深雪は笑ったが、圭吾はもう自分の二機目を折っている。スマートフォンの下書きには、事情と反省と相手への配慮が長く並んでいた。どれも間違いではないのに、一番言いたいことだけが埋もれている。
切れ端へ、深雪は「会いたい」と書いた。五文字だけでは身勝手に見えた。謝罪も理由もない。それでも、紙の上では逃げずに残った。
圭吾はその紙を折らず、二つに畳んで返した。
「それ、飛ばしたらなくなるから、持ってて」
待つあいだ、深雪は紙を何度も開いた。五文字は増えも減りもせず、理由を求めてこなかった。圭吾の母親が戻ると、彼は『おなかすいた』の機体を渡し、飛ばさず鞄へしまってもらった。届かせ方は一つではないらしかった。
診察では大きな異常はなかった。病院を出ると、夕方の風が植え込みを揺らしていた。深雪は駅へ向かいながら、十三通の下書きを全部消した。
新しいメッセージ欄に、「遅くなってごめん。会って話したい」とだけ打つ。
紙ひこうきにはしなかった。飛ぶ先を選び、深雪は送信を押した。