駅裏の十二日

廃線になった駅の待合室を、町は取り壊すことにした。

最後の駅長だった老人は、鍵を返す前に一度だけ中へ入った。

壁には学生の落書き、窓口には色あせた運賃表。妻と出会ったのも、息子を都会へ見送ったのも、この駅だった。

扉を閉めると、外の一分が、待合室では一日になった。

窓の向こうでは、解体業者のトラックがほとんど動かない。

老人の腕時計だけが一日ずつ進んだ。

非常用の水と乾パンが戸棚に残っていたので、老人は帰らず、十二日をそこで過ごした。

最初の三日は、駅を残す理由ばかり考えた。

四日目から、残せない理由も考えた。

屋根は漏り、床は傾き、修理費は町の予算を超える。

思い出が多いことは、建物が安全であることとは別だった。

暇になり、古い忘れ物帳を読み始めた。

赤い手袋、野球帽、入試の受験票。

受取人の欄には、妻の字で「見つかりました」、息子の字で「本人へ連絡済み」と書かれている。

家族は駅長ではなかったが、忙しい老人の代わりに何度も忘れ物を届けていた。

最後のページに、新しい鉛筆の文字があった。

「待合室で勉強させてもらいました。家では弟たちが騒ぐので助かりました」

日付は廃線後だった。

鍵を持つ老人が、夕方だけ近所の子どもへ開けていたことを、誰かが覚えていた。

十二日目、老人は壁の落書きを一枚ずつ写真に撮った。

妻の名前と自分の名前を並べた幼い文字も撮った。

それから、運賃表を外し、待合室の長椅子へ座った。

扉を開けると、外では十二分しかたっていなかった。

解体業者が「忘れ物ですか」と尋ねた。

老人は首を振り、待合室の鍵を渡した。

建物は予定通り取り壊された。

ただし長椅子と運賃表は、町の図書館へ移された。

老人は壁の写真を大きく印刷し、その上に新しい机を並べた。

放課後になると、家で勉強しにくい子どもたちが集まった。

老人は毎日、閉館の時刻をきっちり告げた。

十二日も考える時間があったのだから、もう迷わないと思っていた。

それでも最後の一人が問題を解き終えるまで、時計を五分だけ遅らせることがあった。

駅はなくなった。

けれど誰かを少しだけ待つ場所は、別の建物の中で時刻表もなく続いている。