魔王がひざまずいた日
ノエマ・グルンが魔王城へ迷い込んだのは、勇者一行とはぐれた翌朝だった。
玉座の間の扉を開けると、魔王が彼女を見るなり片膝をついた。
「まさか、私の魔力に屈した?」
魔王は床を見ながら答えた。
「動くな」
「やはり、私の一歩が世界を揺らすのね」
「本当に動くな」
「命乞いなら聞きましょう」
臣下たちは息をのんだ。人間の少女一人に魔王が膝を折っている。将軍が剣を捨てた。
「陛下が降伏なさるなら、我々も」
「待て、まだ何も」
「無理をなさらず!」
「だから待て」
ノエマは腕を組んだ。
「私が最強だと認める?」
魔王は床へ手を伸ばしながら言う。
「今はそれでいい」
「“今は”とは?」
「見失うから黙っていてくれ」
「私を見失うほど眩しいのね」
参謀が羊皮紙を広げた。
「降伏条件を」
ノエマは少し考えた。
「まず人間の村を襲わない」
「承知しました」
「税金は軽く」
「我が国の財政まで?」
「最強者には統治責任がある」
「急に現実的な最強ですね」
魔王は四つん這いになった。
臣下たちが泣き始める。
「陛下が完全に頭を垂れた!」
「百年戦争が終わる!」
「人間の娘よ、どうか慈悲を」
ノエマは胸を張った。
「顔を上げなさい。負けを認めた者を踏みつける趣味はない」
「頼むから踏むな!」
その言葉で、臣下たちはさらに震えた。
ノエマは勇者一行へ伝令を出させた。
「魔王は私が一人で降伏させた、と正確に」
「戦闘は?」
「威圧だけで終わった」
「具体的な威圧方法は?」
「入室」
「伝説になります」
そこへ勇者たちが駆け込んだ。彼らも、床にひざまずく魔王を見て固まる。
「ノエマ、何をした?」
「存在しただけ」
「そんな能力あった?」
「今、開花した」
魔王がようやく指先で何かをつまみ、立ち上がった。
「見つけた」
掌には、小さな透明の円盤。
勇者が尋ねた。
「それは?」
「片方落としたコンタクトレンズだ。裸眼では床しか見えん」
魔王は円盤を目へ入れ、初めてノエマを見た。
「誰だ、お前」
百年戦争の降伏文書は、視力回復と同時に破棄された。