魔王の詠唱を保管する女
ゾフィは王立倉庫の夜番だった。
話すのが苦手で、返事はいつも一言。派手な魔法を尊ぶ宮廷では、その静けさまで無能の証拠にされた。
【固有スキル《音声保管》:所有者から離れた音を一件だけ保存できる】
鐘の音をしまえば遅刻をごまかせる、と同僚は笑った。上官は彼女を決戦部隊の荷車係に回し、「魔王城でも黙っていろ」と命じた。
ゾフィは反論せず、倉庫へ運び込まれる魔導具の作動音を覚えた。壊れる前の杖は高く鳴り、呪具は誰も触れなくても囁く。異常を三度報告したが、無口な夜番の勘として握り潰された。その観察だけが、声と所有者の境目を彼女に教えていた。
勇者たちは玉座の間まで進んだ。
だが魔王ヴァルガスは不死だった。心臓を貫かれても、床に描かれた黒い文字が肉体を戻す。最後に魔王は両腕を広げ、世界を夜へ沈める禁呪を唱え始めた。
魔王が唱えるたび、床の文字が一節ずつ完成する。ゾフィはその響きを、倉庫で聞いたどの呪具より危険だと見抜いた。
七節のうち六節。
賢者は喉を焼かれ、勇者の剣は折れた。残る一節が完成すれば、王都から朝が消える。
「倉庫番、せめて盾になれ!」
上官がゾフィを前へ押した。
彼女は倒れた仲間の間を歩き、魔王の正面に立った。口から放たれた言葉は、聞き手へ届くまで誰のものなのか。話者の唇を離れた瞬間、それは空気を震わせるだけの、所有者を失った音になる。
魔王が最後の一語を吐いた。
ゾフィは一度だけ、保存を選んだ。
玉座の間から声が消えた。
魔王の口は確かに動き、舌も喉も正しく働いた。それでも最後の一語だけが世界へ存在しない。完成しなかった禁呪は逆流し、黒い文字が一斉に白く剥がれた。不死の肉体は再生先を失い、灰にもならず消えていく。
「返せ……我が言葉を……」
魔王の掠れ声に、ゾフィは初めて長く答えた。
「倉庫の品は、正当な所有証明がなければ返却できません」
勇者も賢者も立ち上がった。彼女を押した上官だけが膝をつく中、空中に新しい職業欄が開いた。
【職業が《倉庫夜番》から《静寂典蔵官》へ書き換わりました】