黄色い傘_返却期限なし
黄色い傘――返却期限なし
【六月三日】
夕立。
冬青書房の店員・椨木玖美、店先で立ち尽くしていた客へ黄色い傘を貸す。
客は面接用の書類を胸へ抱えていた。
「明日、返します」
玖美は答える。
「次に濡れている人がいたら、その人へ貸してください」
【六月十八日】
傘、返却されず。
代わりに葉書が届く。
〈面接には落ちました。でも駅前で、雨の中、楽譜を守っている高校生へ傘を渡しました。書類は濡れませんでした。ありがとうございました〉
【七月二日】
高校生から封書。
〈発表会の日、祖父が見に来てくれました。帰りに急な雨が降り、杖をついた祖父へ傘を持たせました。私は走りました〉
【九月十日】
杖の老人が来店。
「これは本屋の傘だと孫に聞いた」
黄色い布には、小さな修繕跡が二つ増えていた。老人は返そうとしたが、店の前で傘を持たない配達員を見つけ、玖美に尋ねた。
「まだ返却期限はないのかね」
「ありません」
傘はまた雨の中へ出ていった。
【三年後】
冬青書房、閉店。
玖美は最後の日、空になった棚を一人で拭いた。長く介護していた父を見送り、店まで失い、翌日から何をすればいいのか決まっていなかった。
シャッターを下ろすころ、季節外れの雷雨になった。
傘を持っていなかった。
軒下で雨を見ていると、一人の女性が走ってきた。黄色い傘を差している。布には青、赤、緑の糸で、いくつもの継ぎが当てられていた。
「半分、入りませんか」
女性は玖美を知らなかった。傘がどこから来たのかも、もう分からないという。雨の日に知らない人から渡され、「次の人へ」と言われただけだった。
玖美は傘の内側へ入った。
持ち手には、見覚えのない文字が何行も刻まれていた。
〈面接、落ちた〉
〈発表会、成功〉
〈妻の墓参り〉
〈初配達〉
〈退院〉
最後に、小さな空白があった。
玖美は女性からペンを借り、書いた。
〈閉店。でも、帰れた〉
黄色い傘は、持ち主のところへ戻ったのではない。
親切を最初に差し出した人が濡れた日に、長い遠回りをして、半分の屋根を返しに来たのだった。