黒い依頼箱
「依頼票は黒い箱へ」
夜狩人ギルド《宵鐘》の受付は、日没から夜明けまで開いている。
受付係サクヤは黒い制服に銀縁眼鏡、愛想はない。吸血鬼の目撃報告も、幽霊屋敷の苦情も、誤字があれば無言で突き返す。討伐帰りの狩人が血まみれの牙を机へ置けば、先に「受付台を汚さないで」と布を渡した。
壁には《宵鐘》初代長の銀剣が飾られているが、誰も抜けない。サクヤだけは毎朝それを雑巾で拭き、刃へ「今日も出番なし」と囁いていた。番人のオルドは、彼女が笑うより先に朝日が西から昇ると信じていた。
月のない夜、一枚の依頼票が箱へ落ちた。
紙には何も書かれていない。ただ、箱の底から血があふれた。
客の姿をしていた男が牙を見せる。
百年前に討伐されたはずの真祖《月喰らい》だった。
「創設者の首を探していた。まさか、窓口で紙を数えているとはな」
男が指を鳴らすと、広間の全員が眠りへ落ちた。壁の魔除け札は黒く焼け、初代長の銀剣さえ鞘の中で震えた。片目を魔除けの義眼に替えていたオルドだけが、扉の陰で意識を保つ。
サクヤは返事をせず、依頼箱から白紙を一枚取り出した。
紙の端で、男の影をなぞる。
影が切れた。
それだけで真祖の身体は膝から崩れた。血も悲鳴もない。床に残ったのは、乾いた黒い花びらが一枚だけだった。
サクヤはそれを指先でつまみ、白紙に挟む。表題欄へ《月喰らい討伐済み》と記し、受領印を押した。
古い印章の底には、《宵鐘創設者・サクヤ》の文字が逆さに彫られていた。
彼女は箱からあふれた血を赤インクへ戻し、眠った者たちの記憶から直前の一分を抜き取った。目覚めた狩人たちは、居眠りしたことを互いに笑う。真祖が立っていた場所には、清掃済みの床しかない。
オルドだけが、扉の陰で震えていた。長年守ってきたはずの銀剣より、受付の紙一枚のほうが遥かに恐ろしいと、ようやく理解する。
サクヤは銀縁眼鏡を押し上げる。
「報告書に書けば、誤字として戻す」
番人は何度もうなずいた。
やがて若い狩人が、震える字で書いた幽霊退治の申請を持ってくる。
サクヤは黒い箱を指した。
「依頼票は黒い箱へ」