B12は空席だった

平成十一年、六波羅涼音は音楽大学の卒業演奏会で、二階席B12だけを見ていた。

そこは尾張谷俊介の席だった。

涼音はウィーンの楽団研修に合格していた。

俊介は父の町工場を継ぐため、故郷へ戻る。

二人は何度も話し合い、最後に涼音が言った。

「演奏会へ来て。来てくれたら、離れても続けたいって意味にする」

「そんな大事な返事を、出席で決めるのか」

「言葉だと、二人とも相手のための答えを言うから」

当日、俊介の父が工場で倒れた。

病院へ駆けつけ、命に別状がないと分かったのは開演十分前だった。

彼はタクシーで会場へ向かった。

B12には間に合わなかった。

曲の途中で入場できず、案内係は扉脇の補助席へ彼を座らせた。

舞台から、B12はよく見えた。

空席だった。

扉脇の俊介は、照明の外にいた。

涼音は最後まで演奏した。

俊介が来なかったのは、故郷を選んだ答えだと思った。

アンコール後、楽屋へ戻らず、楽団の担当者とそのまま空港近くのホテルへ向かった。

俊介は終演後、楽屋口で待った。

関係者から「六波羅さんはもう出ました」と聞き、自分の姿を見たうえで会わずに行ったのだと思った。

携帯電話は、まだ二人とも持っていなかった。

俊介はB12の半券へ書いた。

〈来た。遅れた。続けたかった〉

楽屋の受付へ預けたが、係員は涼音が翌朝出国すると知らず、大学の郵便受けへ回した。

手紙が彼女の実家へ転送されたのは、四か月後だった。

その頃、涼音は研修延長を受け、二年間戻らないと決めていた。

俊介からは何もないと思って、別れを受け入れたあとだった。

彼女は返事を書いた。

〈待っていた。見えなかった。私も続けたかった〉

しかし封をする前に、俊介の母から届いた寒中見舞いで、彼が見合いを進めていると知った。

涼音は手紙を送らなかった。

今さら、自分の四か月を彼の新しい選択へ差し込めなかった。

二十年後、演奏会場の改修記念企画で、卒業公演の座席表が展示された。

B12には〈故障のため当日使用中止〉という赤い印があった。

俊介の半券も、資料として硝子ケースに置かれていた。

帰国公演で会場を訪れた涼音は、その前に長く立った。

係員が訊いた。

「何か思い出の席ですか」

「いいえ。空席です」

彼女は笑った。

空だったのは椅子であって、彼の気持ちではなかった。

分かったところで、もう誰の人生も変えられない。

それでもあの夜の自分へだけは、心の中で訂正した。

――来なかったのではない。見えなかっただけ。

その一文を受け取るまで、二十年かかった。